ENCORE !! ENCORE !! (後編)

  前回(前編)に対して、フェイスブックの「友達」から以下のコメントを頂いた。

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 一瞬戸惑ったが、直ぐに「そうだったのか」と納得した。あのオフコースも解散してから既に30年。しかもその間、チンペイとベーヤンのアリスや財津のチューリップのように再結成をする事は一度も無かった。これではレジェンドにはなり得ても、その存在にリアリティー等あろう筈が無い。

 従って小田和正氏についても、「一人で音楽活動を行い、コンサートでは会場狭しと走り廻っている姿しか知らない」という人が大勢いたとしても何の不思議もないのである。 

  かって1970年代から80年代にかけて、それまでフォークとかロックと呼ばれていた音楽が、いつの間にかニューミュージックという造語に変わってゆく中、多くのミュージシャン達はステージに立つと、有ろう事か本業の歌や演奏よりも、MCの方に力を入れているとしか思えない時期があった。如何に面白おかしい喋りで観客の心を掴むかが、より人気を得る必須条件と言っても過言では無かった時代だ。

 しかしそのような状況下、オフコース小田和正鈴木康博両氏は、殆ど黙々と演奏し続けるスタイルを頑なに貫き通した。それは強い意志によって制御された行為と言うより、元々二人とも軽口をたたくような性格では無かった為と推測されるが、コアなファンはそれを許し、彼等の不器用さと美しい音楽を愛した。

 それが何と今では、軽妙なMCで笑いを取る。会場の花道を駆け回る。時として客席にまで入って一緒に歌う。そんな姿に、かっての、あのお通夜のようなコンサート会場とのギャップを感じ、戸惑う事もしばしばあった。

 確かに小田氏は寡黙でしかもエリート、近寄りがたい雰囲気を持っている。それでいて体育会系なので年下の者は呼び捨て、辛辣な事も平気で言う。得意の優しく切ない歌とは裏腹に、時として高慢且つ気難しい性格と思われる可能性は否めず、その長いキャリアから誰もが必ず「小田さん」とさん付けで呼ぶ。これではどう考えても人付き合いが円滑だったとは思えない。

  例えばTBSで毎年放送されている「クリスマスの約束」という番組の第1回目。小田氏は意中のミュージシャン数名に自ら出演依頼書を送ったが、結果、誰一人として参加する者はいなかった。それが2001年の事である。

 その約10年前の1990年に出版された「TIME CAN'T WAIT」(朝日新聞社)の中で小田氏は、自らの「日本グラミー賞 」構想について述べている。そこには日本のミュージックシーンにアーティスト同士が互いに尊敬し合う土壌を作ろうと画策、積極的に活動し、しかし結果として挫折した事が書かれている。

 この事から彼は「クリスマスの約束」という番組の内容を、少しでもそれに近い状態にする事を目指したと考えられる。私は彼が、何事もアウトサイダー的な孤高の世界だけに生きていた訳では無かった事を知り、妙に感心して認識を改めた記憶がある。現在のフレンドリーな姿勢が彼の目指すところであったのだろう。

 さて、肝心なENCORE!!  ENCORE!! と題された今回のコンサートについての感想であるが、これはもう拙い批評するようなものでは無く、ただそこにいたというだけで私は充分満足している。かっては夢見る乙女であったろう多くの女性客も、多分同じように感じたと思う。

 それでも若干私見を述べるとすれば、小田氏が観客の潜在的要望を酌み、歳を重ねて尚、オリジナルのキーのまま、あのカウンターテナーで3時間も歌い続ける姿には頭が下がる思いである。そして特筆すべきはバックアップ・ミュージシャン全員が、自らの担当楽器の他、コーラスにも参加しているという事。特に高度なハーモニーアレンジを駆使する小田氏の要求に応えるその実力は素晴らしいの一言に尽きる。

 尚、私が目にしたコンサートの模様は映像収録ライブとして撮影されており、いずれブルーレイ化されると思うので、興味のある方はそちらを当たって頂きたい。

 最後に今後何を期待するかと言えば、それはもう、かっての相方、鈴木康博氏との共演に尽きる。鈴木氏は規模は小さいが現在も精力的に活動を続けており、私は昨年、東京日本橋にある三井ホールで行われたコンサートを見る機会を得た。そこで彼はセンチメンタル・シティー・ロマンスのメンバーをバックに、小田氏同様、昔と変わらない伸びのあるボーカルとギタープレイを披露していたのである。互いに様々な想いはあるにしても、是非二人のデュオを聴いてみたいと考えるのは私だけだろうか。

 2018年5月4日、熊本から始まった小田和正のツアーは全国で24会場、64公演、約55万人動員して、2019年7月31日松山にて無事千秋楽を迎えた。各スポーツ誌は、彼が最後に「また会おうぜ!」という言葉を残したと伝えている。<終>

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