一番大切な写真

 これまで何度かこのブログに自分で撮った写真を、如何にも自信ありげに投稿した。では写真が趣味かと言うと特段そういう訳でも無く、知識、技術、機材等ことごとく素人の域を脱していないし、そんな事は言われなくても充分自覚している。

 それでも出来るなら多少なりとも印象に残る画像を残そうと常に心掛けており、真面目に撮影したい時は、廉価品ではあるが一応、ニコンデジタル一眼レフカメラを持参する。だがそれには、何やら悲しい性 (さが) のようなものを感じてしまう。

 実を言うと私は高校生の頃、写真部に籍を置いた時期があって、現像液や定着液の臭いが充満する暗室に籠り、大した出来でもない写真を、白黒印画紙にプリントした経験もある。

 その頃は、ゼンザブロニカというフォーカルプレーンシャッターの一眼レフカメラを使っていたが、これは自分の持ち物ではなく、父親が使わずに放置していた物を、勝手に持ち出していたに過ぎない。

 このカメラの特徴は何と言っても、ブローニー (120フィルム) と呼ばれる一般的ではないフィルムを用いる事で、写真1枚当たりのフィルムサイズは6cm x 6cm。これは引き伸ばせば伸ばす程その威力を発揮するが、何と一本12枚しか撮れないという代物であった。従って全くもって扱い辛く、フィルム代はかさむし親爺が放っておくのも当然かと思われた。

 しかし一見、名器ハッセルブラッドを思わせる形状といい、通常のシャッター音の「カシャッ」が、「バシャッ」と聞こえるくらいの大きさといい、そんじょそこらの一眼レフカメラなど正に鎧袖一触。まるで密閉型やバスレフ型のスピーカーを駆逐する、バックロードホーンのような強力な破壊力を持っていた。つまり要は持っているだけで、それなりの恰好が出来たのである。

 更に恰好をつける為、交換レンズも欲しいと考え、新宿のヨドバシカメラへ行ってみたりしたが、あまりに高額でとても手が出せない。尚、同店はその頃はその名の通り、カメラの他に写真に関する様々なアクセサリーも取り扱う専門店で、ここに来れば大概の物は揃った。

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写真はゼンザブロニカS2(いまだに完動、1/1000秒のシャッターが切れる)

 因みに当時は学内にも写真やカメラに凝る生徒は多く、もしかしたら流行していたのかも知れない。そして彼等にとって、一眼レフと200mmの望遠レンズという組み合わせが必須アイテムであり、また垂涎の的でもあった。

 そのうち私は、次第に大きなカメラを持ち歩くのが面倒になり、ジャーニーコニカと呼ばれたコニカC-35を主に使うようになったが、意外とこのカメラで撮った写真は、いい感じがする物も多かった。

 ところで写真は、芸術性はともかく、何と言ってもモノクロよりはカラーの方が圧倒的に情報量が多く、視覚に訴える力も遥かに上回る。あのポール・サイモンでさえ「コダクローム」という曲で「Everything looks worse in black and white」と歌っているくらいだ。今にして思えば何故あの頃、白黒に拘っていたのか不明である。

 その後、デジタルカメラが発売されると、私は早速オリンパスCAMEDIAを入手。それを持って欧州5ヵ国を回ったところ、何処へ行っても多くの外国人が、奇異な眼差しでそれを見ていた。まさに技術大国「日本」の面目躍如である。 

  最近は「インスタ映え」という言葉が示す通り、高性能なカメラを搭載したスマートフォンが普及し、それこそ一億総カメラマンの感がある。かく言う私も取敢えずインスタグラムに登録しており、レストラン等で問題が無い限り、美味しい料理があれば、思わずカメラを向けている事も多い。つい先日、最新のiPhone11に機種変更したので、今後が楽しみである。

 また、歳を取ったせいか、景勝地で若いカップルが互いに撮り合っている姿を見ると、ついつい「シャッターを押しましょうか」などと言って、お節介を焼いてしまったりもする。

 勿論、先方から頼まれる事もしばしばある。そしてそれはきっと、私が首から下げている黄色い「Nikon」の文字がある、黒地のストラップのせいだという気がしている。流石に世界のニコン日本光学の力は絶大だ。多分、これがCanonであっても同様かも知れないが、私は所持していないので分からない。

 以前、北京の天壇公園へ行った際、私はその時もニコンを首から下げて歩いていた。するといきなり私の手を引く者がいる。見ると団体客のワッペンを着けた小柄な老人が、自分のカメラを私に渡そうとしながら中国語で何か言っている。その先の方には同じく老婦人が立っていた。恐らく地方から首都「北京」観光にやって来た夫婦なのだろう。どうやら私に二人の写真を撮って貰いたいようだった。

 手渡されたカメラは昔ながらの銀塩カメラで、ピントらしきものを合わせシャッターを切ったが、デジタルではないので間違いなく撮れているか確認のしようがない。

 その時はそのまま慌ただしく別れた。だが後になって考えてみると、「彼等にとっては一生に一度の夫婦旅行だったかも知れない」と思うようになった。その記念写真を撮影するという大役を担ったのだ。

  そして私は次第に不安になってきた。しかし今更どうする事も出来ない。

 もう何年も前の昔話なのに、ニコンのストラップを見ると、何故か未だにその光景が鮮やかに蘇る。願わくばあの写真が確実に写っていて、彼等の想い出に色を添える事が出来たと信じたい。

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写真は天壇公園(北京)2004年10月