つくつく法師の記憶

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 「夏の終わり」は何故か切なく物悲しい。何となくそんな気がする。それは眩しい日差しが少しずつ薄れてゆくせいなのか。それともやがて訪れる秋を無意識裏に受け止めた為なのか。否、ただ単に一人黄昏ているだけなのか。

 ひと口に「夏の終わり」と言っても、その気配を知るきっかけは人それぞれ違うだろう。例えば、人影が途絶えた避暑地。歓声が消えたテニスコート。クラゲが漂う波打ち際。仕舞い忘れたビーチチェア。或いは早朝の空気の澄明感、かも知れない。

 しかし、もしそれが蝉時雨であると言ったら、少し変に思われるだろうか。実を言うと私に「夏の終わり」を告げるのは「つくつく法師」の鳴き声なのである。

 蝉は早ければ五月頃から鳴き始める。「ハルゼミ」という種らしいが私は聞いた記憶がない。専ら耳にするのは、七月初旬の「ニイニイゼミ」と下旬の「クマゼミ」に「ヒグラシ」、それに八月から加わる「アブラゼミ」の大合唱。但し、どれがどの蝉なのか判別は出来ない。


蝉しぐれ(1)/風のかたみの日記

 その点、少し遅れて鳴き出す「ミンミンゼミ」は判り易い。


蝉しぐれ(2)/風のかたみの日記

 そしてしんがりに登場するのが、八月下旬から九月上旬迄の主役「ツクツクホウシ」。彼等の鳴き声は「つくつく法師」の名の通り、まるで往く夏に引導を渡す導師の御念仏。これを聞くようになると「ああ、今年の夏も終わりか」という気持ちになるのである。


蝉しぐれ(3)/風のかたみの日記

 だが私がそう感じるようになったのはそれなりに訳がある。甚だ唐突ながら、読者諸氏は托鉢姿をした「つくつく法師」を見た経験があるだろうか。私にはある。

  さて、アメリカに「ローラ・ニーロ」という私が好きな女性シンガーソングライターがいた。説明を始めると長くなるので、以下のリンクを参照願いたい。

ローラ・ニーロ - Wikipedia

 残念な事に彼女は1997年、49歳で亡くなったが、その2年前に発表された初のライブアルバム「光の季節(Season of Lights)」のジャケットを見た時、私は少し驚いた。 

 どこかで見たような画風。そこに描かれた絵は、そう「週刊新潮」の表紙絵を描いていた谷内六郎の作品だったのである。

 ローラ・ニーロ谷内六郎との間にどのような接点があったのかは知らない。ただ彼女は何度か日本公演も行い、「Smile」という曲では琴など和楽器を取り入れたりもしているので、日本の文化に興味があったのかも知れない。

 いずれにしても、二人のコラボレーションのお陰で私はその絵「つくつく法師の記憶」を知るに至った。

 そこには、町へ使いに行った帰り、杉並木の道で下駄の緒が切れた少年が、深閑とした木立の中で聞く蝉の鳴き声に、畏怖に似た不安を感じている様子と、遠く托鉢僧の姿をした「つくつく法師」が描かれている。

 そしてそれはいつか、私にとっての「夏の終わり」の原風景となり、以来「ツクツクホウシ」の鳴き声は私にこの絵を思い出させるようになった次第である。

 令和二年八月も残り僅か。あなたはどのような「夏の終わり」を感じているのだろうか。

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