今回は柄にもなく少々苦言を呈したい。と言っても大した話では無く常識的な事なので気軽に読んで頂きたい。
先日、特に当ても無く適当に「はてなブログ」を冷やかしていたところ、偶然にもあり得ない、あってはならないと思われる文言を目にしてしまった。誹謗中傷が目的ではないので出典は開示せず、ましてやIDコールなどする心算は毛頭ない。しかし、そこには間違いなく「令和天皇」の四文字があったのだ。
恐らく書いた本人に悪意は無く単に現在の「天皇徳仁」について言及しようと思ったのだろうが、コメント欄を見ても誰一人その「違和感」を指摘する者は無く、余程私が注意しようかとも考えたが、読者登録している相手ではないし、突然の書き込みは失礼になるかも知れず、そして何より無用な紛争を避ける為、そのまま放置する事にした。しかし、だからといって見なかった事にする訳にはいかないのだ。
では一体何がどう問題なのか。聡明な読者諸氏には既にお判りの事と拝察するが「令和天皇」なのである。
さて、御高承の通り天皇家の始祖は天上世界の高天原(タカマガハラ)を統治する天照大神(アマテラスオオミカミ)という事になっているで、当然天皇は神道を司る存在である。
神道の世界では所謂戒名(浄土真宗では法名)というものが無い。人が死んだら仏の弟子になるとの考え方は仏教だけの仕来りで、天皇は基本的に仏教徒ではないのだ。
ならば天皇の場合、戒名に代わる名前はないのか。「ないこともない」。その一つは「諡(おくりな)」と言い、生前の事績への評価、高貴さ、高徳を表した美称が贈られるが、近年は専ら「天皇」が用いられている。
そしてもう一つ、「追号」がある。これは明治以降「一世一元の制」(天皇一人につき元号一つを定める制度)に基づき「元号」とする事が多い。例えば「明治天皇」「大正天皇」「昭和天皇」といったように、これらは全て「追号」と「諡号」の組み合わせである。
然らば「平成天皇」と言う呼称はあるのか。答えは「無い」。何故なら先ず崩御されていない事と、「追号」の決定に規定はなく、新しい天皇が贈る習わしなので「平成」にするか否かは未だ明らかにされていないのである。現に平成の「天皇明仁」は退位後は「上皇」となっている。因みに「上皇」が「おくりな」では無い事は言うまでもない。
以上を勘案すれば「令和天皇」などという言葉が存在する道理がない事は明白であろう。これを敢てそのように呼ぶということは、その言霊をもって天皇が早く身罷るよう呪詛していると疑われても仕方あるまい。世が世であれば「国賊」のそしりは免れず市中引き回しの上打ち首獄門(?)。まあ少なくとも「不敬罪」に問われる事は間違いない。
それでは「現在の天皇」はどのように呼べばいいのか。
これはご存知の通り「今上天皇」(キンジョウテンノウ)或いは「今上」である。不思議な事に、このように肝心な事を学校では何故か決して教えない。実に由々しき問題ではないか。
せめて我が国の象徴である天皇陛下の敬称くらい、国民として正しくお呼びしたいものである。