秋の虫

 タイトルから鈴虫の話などを連想された方には申し訳ない、世の中に「虫が好かない」という言葉がある。はっきりとした理由は無いが何となく気に入らない、どうも好きになれない、そんな時、人は思わずそう呟く。

 何せ自分自身が嫌いだと言っている訳ではなく、自分の中に棲みついているらしい「虫」が嫌っているので、残念ながらこちらもその事に責任は負いかねる。

 さて、今年もストックホルムノーベル賞の発表が始まった。その中には平和賞の呼び声も高い、グレタ・トゥーンベリというスウェーデン人の16歳の少女がいて、テレビで見る限り、眉間に皺を寄せ、睨み付けるような眼差しで何やら烈火の如く激怒している。

 彼女に言わせれば、温暖化などの環境破壊によって、地球が瀕死の状態であるのにも拘わらず、大人達が経済活動に現を抜かしているのは許せない、との事らしい。よく解らないがごもっともな意見のようでもあり、これに真っ向から反論出来るのは、せいぜいKGB出身のプーチン大統領くらいしかいないのかも知れない。

 勿論、人を見かけで判断してはいけない事位は解っている心算だ。しかし国連の環境行動サミットの場で、あのような表情で発言する姿を見せられ、嫌な感じを受けたのは多分私だけではないだろう。そう、それこそ「虫が好かない」という言葉がピッタリと当てはまるような状況なのだ。

 言っている事は素晴らしいのかも知れないし、しかも相手は子供なので、まともに批判すると大の大人がイジメているように見え、何となくやり方がキタナイのである。おまけにこれは彼女の影響か定かではないが、NYで同時に、環境保護団体「オイル・チェンジ・インターナショナル」から、日本の石炭火力発電がやり玉に挙げられ、抗議デモまでされる始末である。

 確かに我が国は年間約1億トン強の石炭を消費している。しかし、ならば然したる環境対策もせずに、その16倍以上にあたる19億トンもの数量を使用する中国はどうなのか。また対象を先進国に限ると言うのであれば、お膝元の米国でさえも、3億トンを超える石炭を燃やしているのだ。

 「待てよ」と私は思う。このように日本だけを非難する構図は、他にもあったような気がする。そうだ2018年、被爆国でありながら「核兵器禁止条約」を批准しないのは怪しからんと、わざわざ日本にやって来て声高に叫んだ、ICANとかいう反核運動家の組織と同じ臭いがするではないか。

 日本に来る位なら何故彼等は、直接核保有国であるロシアや中国、北朝鮮に行って廃絶せよと訴えないのであろうか。言い易い所でのみ己のレーゾンデートルを主張するだけなのか。因みにICANは2017年にノーベル平和賞を受賞している。

 誤解して貰っては困るが、私は決して環境などどうでもいいと考えている者ではない。それどころか些細な事ながら、スーパーへ買い物に行く時は、必ずマイバッグを持参するし、コンビニで弁当を買っても割り箸を貰ったりはしない。

 同様に核兵器に対しても、決して肯定する立場ではない。夥しい数の非戦闘員を無差別に殺戮した原爆投下は、明らかに国際法違反であり、紛れも無い戦争犯罪だと考えている。

 それにしてもあの少女は、何もあんな顔をしなくてもいいのではないかと思う位、実にイヤな表情をしている。いくら立派な事を言おうが、どんなに優れた行動力があろうが、鼻につくし、見ているこちらを不愉快な思いにさせ、結果、応援しようという気が失せてしまう。それでもなお多くの支持者がいる事が不思議なくらいである。 

 ただ、そのように批判的な目を向ける者に対し、何かとお騒がせの上野千鶴子東京大学名誉教授が早速嚙みついて来た。曰く、「そういう事をやる人の権力性と品性のなさが暴露されるだけ」なのだそうだ。そんな事ではないだ。こちらは単に「虫」の話をしているだけなのである。

  ところで私は、ノーベル平和賞を誰が受賞しようが全く興味が無い。それは歴代の受賞者の多くがその後、我々を失望させる事になる事例を幾つも見せて来たからである。

 例えば1991年受賞のアウンサンスーチー氏。彼女は長い間軟禁に耐え、ミヤンマー民主化の星のような存在だったが、いざ政権の座に就くと、少数民族ロヒンギャの迫害を容認していた事が判明した。

 また2009年、現役の米国大統領として受賞したバラクオバマ氏。彼がプラハで訴えた核兵器廃絶の具体的スケジュールは、一体どうなってしまったのだろうか。

 従ってもし今回、スウェーデンのお嬢さんが受賞したとしても、その後の世界に大きな影響をもたらす事も無く、その場限り、一過性の熱狂みたいなもので終わるのではないかと思えてならない。そして我々はいつしかそんな少女がいた事など、すっかり忘却の彼方へ押しやってしまうのだろう。

 それはそれで少し残念な気がしないでもない、是非頑張って貰いたいものである。

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彼岸花

 最近フェイスブックのタイムラインに、北海道からは早くも初霜の便り、また愛知県からは矢勝川堤防の満開の彼岸花の写真が投稿されていた。

 今年は気温が高いまま推移した影響で、10月に入っても彼岸花の見頃が続いているそうだが、天気予報も、沖縄地方は引き続き熱中症に注意が必要と伝えており、改めて南北に延びる日本列島の長さを実感する。

 ところで、私はこの彼岸花という植物が、昔からどうも好きになれない。とにかく色と言い形と言い何とも毒々しく、事実、球根には毒があって、モグラやネズミを寄せ付けないという。

 また見た目が炎を連想させる事から、家に持ち帰ると火事なるという言い伝えがあり、間違っても人に贈ったりしてはならない。

 そして何よりもその名称に慄然とする。「彼岸」とは向こう岸、即ち三途の川を越えた「あの世」の事であり、それこそ「死」を意味しているのだ。

 しかし、私はふと考える。「まずい、ここまで彼岸花の悪口を書くと必ずや祟りがあるに違いない。」

 そして私は、せめてもの罪滅ぼしに、カメラを持っていそいそと出掛けて行ったのだった。

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 やはり彼岸花の前に立つと思わず手が震え、イイ写真を撮る事が出来ない。もしかしたら私の前世はモグラだったのかも知れない。

津軽

 最近「人間失格 太宰治と3人の女たち」というタイトルの映画が公開され、その主人公である太宰治が俄かに脚光を浴びているという。彼は1909年、青森県の大地主の家に生まれ、文士として創作活動を続けながら放蕩の限りを尽くし、最後は情人と心中し38年の短い生涯を終えた。そこに至るまでには様々な苦悩があったのだろうが、何度も自殺未遂を繰り返す等、どうも身勝手極まりない男という印象が強い。

 私は学生時代に文庫化された彼の著作の殆どを読んだが、その中で珍しく「津軽」という小説だけは他の作品と違い、陰鬱な翳りも無く、瑞々しい紀行文といった雰囲気を持っている。

 ご存じの通り「津軽」は青森県西部に位置する地域名である。日本海側気候の豪雪地帯で、冠雪した名峰「岩木山」は、太宰が「透き通るくらいに嬋娟たる美女」と例えた美しい山容を誇る。しかし彼の地での冬の生活の厳しさは、想像するに難くない。

  何故かは解らないが、冬の津軽という言葉で真っ先に思い浮かぶのは「津軽三味線」である。これは極寒の中にあっても、家々の門前で芸を披露し金品を得る、いわゆる「門付」(かどづけ)と呼ばれる三味線弾き達が始めたとされている。

 代表曲「津軽じょんがら節」で聴かれる独特の旋律と音の響きは、そのような風土が生んだものであろうが、どことなく日本的では無いような気がしてならない。それでいて何故か激しく魂を揺さぶる。

 私の趣味の一つがギターである事は、以前このブログでも触れたが、1970年代、マスコミに取り上げられ一躍有名になった、高橋竹山という盲目の津軽三味線の名人の演奏を聴き、とにかくカッコイイと思った。この場合のカッコイイとは、女性にモテるのではとの下心を意味していた事は言うまでもない。そして私は、いつしかこの三味線という楽器を弾いてみたいと思うようになっていた。

  ところで、三味線はその用途により、大きく分けて三種類あるのをご存知だろうか。テレビドラマ等で見かける、和服を着て三味線を弾く粋な姐さんの職業は、大抵小唄の師匠と相場は決まっているが、彼女達が使っている三味線は中竿と呼ばれる。

 ここで言う竿とは、勿論釣り道具の事ではなく、ギターのネックにあたる部分で、長さはどれも凡そ三尺二寸(約1m)。但し、違いはその太さにあって、それぞれ細竿、中竿、太棹に大別される。

  更にそれに加え、胴の大きさの違いもあり、太く大きくなるにつれ、音量が増す傾向がある。従って座敷などの狭い空間では細竿で小型の胴、中竿と中型胴は舞台での演奏、そして太棹と大型胴は、更に大きな音量が必要な環境、即ち吹雪く中での「門付」という事になる。

 ところが現実はそうでは無かった。太棹且つ大型の胴では重量が増し、担いで家々を回るには重くて不向きであり、むしろ細竿が好まれたのだった。

 それが現在のように「津軽三味線と言えば太棹」となったのは、その音楽性が広く認知、評価され、弾き手達が互いに、より大きな音で競い合うようになった戦後の事だという。

  さて実を言うと私は、三味線はそれ程難しくはないだろうと少し高を括っていた。弦は僅かに三本、ギターのようなフレットは無いが、ある程度音感には自信があったので、「ツボ」と呼ばれる正しい音程の位置さえ掴めれば、あとはリードギターを弾く要領で、ピックの代わりにバチで弦を叩けばいい、その程度に考えていた。最早楽器を手に入れるだけである。

 それでも「マイ欲しい物リスト」の中で、三味線の優先順位はかなり低い為、手にする迄には随分時間が必要だった。しかし、その気にさえなれば投資案件が楽器の場合、私の承認決定基準はかなり甘くなる。勿論金に糸目はつけるが、ある日偶々ギターの弦を買いに行った山野楽器で、お目当ての品を見つけてその場で購入した。

 だが、いざ調弦して独学お稽古を始めたところ、これが思いの外難しい。先ずは胴がギターのボディーに比べ小さく四角形の為、非常に持ちにくく安定しない。そして難なく押さえられる筈だった「ツボ」を外してしまう。おまけにバチも、速弾きすると上手く弦を捉える事が出来ず空振りばかり。尚且つあまり強く叩くと皮が破けてしまいそうだ。

 完全に当てが外れてしまった私は、泣く泣く練習を断念して三味線をしまい込み、そのまま何年もその存在を忘れていた。

 そんな時、冒頭の太宰治の名前を見て、以上述べた通り、えらく回りくどい三段論法を展開した結果、我家に三味線が一竿ある事を思い出した次第である。

 折しも今日から10月を迎え、いよいよ秋本番。何をするにもいい季節の到来である。勿論美味しい物を味わう事も魅力的だが、今年は少し格調高く、三下がりの三味の音でも聞きながら、「芸術の秋」にしようか等と考え始めたところである。

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クラウチ・バインド・セット

 過去二回に亘り、ラグビーワールドカップ2019に因んだ文章をここに投稿した。すると想像以上の反響があり、多くの方々から沢山の☆やブックマーク、そしてコメントを賜った。先ずはこの場を借りて御礼を申し上げたい。

 やはり、この事を見ても本大会への関心の高さが伺え、本来なら今日は更新する心算は全く無かったにも拘らず、日本代表ブレイブ・ブロッサムズが、強敵アイルランドに対し、何と19-12というスコアで勝ってしまい、未だに実感が沸かないまま、既に大量のビールにより酩酊した状況でこれを書いている。

 とにかく、今日の敵はつい先日まで世界ランキング1位のチームである。しかもこれ迄の対戦成績は9戦全敗。実際のところ、この試合は勝敗よりも如何にイイ戦いが出来るかだと考えていた。

 ところが大差をつけらると思った前半を、日本はノートライながら9-12という僅差で終えた。だが、それでも後半、攻め込まれるに違いないと思っていた。

 結果は皆様が御覧になった通りである。トライを奪い逆転、ゴールも成功し、幾ら地元開催と言っても、信じられない事に19-12のままでノーサイドを迎えた。4年前の南アフリカ戦も素晴らしい結果をもたらしたが、今日の試合はそれに匹敵するか、それ以上の勝利になった。

 もう少しアルコールを冷まし冷静になって書くべきかとも考えたが、この勢いは止められない。ありがとう、ブレイブ・ブロッサムズ。私は約束通り飲んだビールの量でアイルランドに対し頑張ったのだよ。

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ラグビーに乾杯

 ラグビーワールドカップ2019が始まった。開会式に続いて行われた日本対ロシアの試合、結果は我等がブレイブブロッサムズが30ー10で勝利を収めた。後半に見せた圧倒的な底力は、やはり日頃の厳しいトレーニングの賜物なのだろう。これで日本は勝ち点5を獲得、目標であるベスト8へ一歩近づいたと言えるのではなかろうか。

 今回のW杯は日本のみならずアジアで初めて開催された大会である。そのせいもあってか、各マスコミはかって無い程、挙ってラグビーに関する様々な情報を紹介しており、その中で特に私の目に留まった事は、ラグビーとビールの切っても切れない関係だ。

 既にご存知の方も多いと思う、NHKでもこのように伝えている。

ラグビーW杯開幕 消費増加見越しビール大幅増産 | NHKニュース https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190920/k10012090641000.html

 これは最近知った事だが、例えば同一スタジアムで行われたラグビーとサッカーの試合を比較すると、前者のビール消費量は後者の何と6倍というデータがあるという。

 従ってラグビー強豪国では自ずとビールがよく飲まれ、世界ランキング1位のアイルランドに至っては、国民一人当たりのビール年間消費量は118リットル。54リットルの日本の実に2倍以上を飲んでいる事となる。尚、世界で一番ビールを飲む国はチェコの150リットルで、アイルランドは2位である。

 そのようなアイルランドの人達の試合当日の行動パターンは、三々五々パブに集まり、先ずビールを飲みながらその日の展開や問題点について語り合う。そして当然ビール片手に観戦し、更に試合終了後、またパブに行きビールで喉を潤しながら対戦を振り返るのだそうだ。

 ところで、かく言う私は勿論アイルランド人ではないが、長きにわたり所謂ビール党であった。敢て「あった」と過去形で言うのは、ここ数年ワインがマイブームになり、ビールは以前程飲まなくなったからで、今でも日本酒やウイスキーに比べればその比率は遥かに高い。

 かって全盛期の頃には一般的な大ジョッキーで軽く7、8杯はいけたので、所謂「生ビール飲み放題2000円」等と謳った店では、間違いなく元は取ってきたと思う。

 だが若い頃は、そのようにビールばかりを飲むという行為は中々成立しなかった。と言うのも、一緒に飲んでいた諸先輩達の脳裏には「ビールはコストパフォーマンスが低い」という観念が焼き付いており、せいぜい最初のコップ1杯程度で済ませ、後は熱燗の世界だったからである。

 確かにアルコール度数平均14%の日本酒に比べ、ビールは5%程度。如何にして安上がりに酔うかが目的であれば、選択肢から外れる事は止むを得ない。私も日本酒を飲めない訳ではないが、しかし、もう少しビールが飲みたいという思いをずっと抱いてきた。

 そんな長い冬の時代がようやく去り、やがて私も歳を重ねて、それなりの立場となって以降は、もうだれも止める者はおらず、思う存分ビール漬けの日々を送った。それは非常に狭い世界ではあったが、ある程度その社会では認知され、何処で誰と飲もうが、気が付けばそこには常にビールが置かれるようになっていた。

  ビールを多飲する事による問題点も確かにある。一番はどうしても尿意が頻繫に起きるので、店のトイレが混雑している時など、かなり辛い思いをする事になる。また飲んだ挙句タクシーで帰宅中、一般道ならば最寄りのコンビニに飛び込めば済むが、高速に乗って渋滞に巻き込まれると地獄である。しかし、そのようなデメリットがあっても、美味しいビールを止める気はさらさら起きなかった。

 ビールにまつわる思い出も数々ある。今でもよく覚えているのは、パブ発祥の地と言われるイギリスでの出来事である。

 パブへ行った際、私は知ったかぶりをして所謂ハーフ&ハーフをオーダーしたところ、英語が上手く通じなかったのか、カウンター内の親爺は怪訝な顔をして、ピルスナーとスタウトを特大のジョッキーに別々に注いで私の前に置いた。

 私は一瞬驚いたが直ぐに気を取り直し、もう一つジョッキーを貸してくれと言って自分で混ぜ始めた。すると漸く私の意図を理解したのか、彼はピッチャーのような容器を出してきてハーフ&ハーフは無事完成した。

 そしてそれを傍で見ていた赤鬼のような大男達は、笑って私の肩に手を伸ばし、見知らぬ者同士、そこで乾杯が始まったのだ。

 さて、もしかしたら賢明な読者諸氏は、それだけビールを飲んできたのであれば、さぞかし尿酸値が高く、痛風持ちであるに違いないとお考えかも知れない。ところが、幸いな事に未だに基準値以下の2.6より上がったためしがない。恐らく神様がそういう体質を与えたもうたのだろう。 

 日本で開催の今回のW杯、時差無しで世界トップクラスの試合を、居ながらにして見られるとは、何と幸せな事であろうか。

 そして来る9月28日、日本はビール大国アイルランドと一戦を交える。応援するしか能が無い私は、せめてビールを飲む量で強敵を圧倒し、勝利を目指す所存である。

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ブレイブ・ブロッサムズ

 いよいよこの9月20日から、日本でラグビーワールドカップが始まる。未だにあの長球ボールに触れた事さえ無いにも拘らず、私は何故か昔からこのスポーツに憧れを抱き、解り辛いと言われるルールもひと通り理解している。そして白熱したゲームが展開された後、試合終了のホイッスルと共に審判が告げる「ノーサイド」という言葉が何よりも好きである。

 かってポール・サイモンは、名曲「明日に架ける橋」の中で「I'm on your side」と歌ったが、ゲームセットを以って敵でも味方でも、そのどちら側でも無いという意味のこの言い方には感動すら覚える。

 ラグビーに興味を持ち始めた頃、私は音楽に熱中しており、自分でも曲を作ったりしていたが、もし将来レコードを出す機会があれば、アルバムタイトルは必ず、サイドAでもサイドBでもないこの「ノーサイド」という言葉にしょうと密かに決めていた。ところが何処で漏れたのか、それから間もなく松任ユーミンという呉服屋の娘が、その題名を付けた曲を先に発表してしまい、私の目論見はあえなく潰えてしまった。

 それはさておき、最近はラグビーの試合は専らテレビで見る事が多くなったが、以前は仕事上の得意先から応援を頼まれたりして、勿論嫌いではないのでその都度、秩父宮ラグビー場に足を運んでいた。

 寒い冬の日は依頼主である企業の受付に名刺を差し出すと、ワンカップ大関とおつまみセットをくれる。それを持って観客まばらなスタンドに座り、チビチビと暖を取りながらの観戦。

 しかしながら私が立場上応援するチームは、一応全国レベルではあったが、あまり強くないので大概はコテンパンに負けてしまう。それもかなりの大差である。

 よく「ラグビーにマグレは無い」と言われる。私も自分が見てきた経験から、確かにラグビーというものには、偶然とか番狂わせ等というものは殆ど存在せず、必ず強いチームが勝つものだという固定観念みたいなもの抱くようになっていた。

 実際のところワールドカップに於いても、日本代表チームは善戦こそするものの、世界の強豪の前に残念ながら長い間敗れ去って来た。

 ところがである。2015年9月19日、我々はラグビー発祥の地イングランドに於いて、日本が優勝候補の南アフリカに、34対32で勝利する姿を目の当たりにした。

 その試合の終了間際のスコアは日本29、南ア32。そこで日本はペナルティーキックのチャンスを得た。名手、五郎丸選手がこれを決めれば同点引き分けに持ち込む事が出来る。しかし主将リーチ・マイケルは何と敢てスクラムの指示を出す。それはペナルティーゴールの3点ではなくトライによる5点、即ちリスクを取って「勝負」に拘ったのだ。

 果たしてその結果、日本は左サイドを突破し、見事なトライを決め、歴史的勝利を収めた。サッカーの「ドーハの悲劇」は有名だが、ラグビーではこの快挙を、やはり開催地の名を取り「ブライトンの奇跡」と呼んでいる。

 現在、日本代表の世界ランキングは第10位。もはや弱小チームなどではない。そして今回のワールドカップ1次リーグでの対戦相手の状況は、ロシア=20位、アイルランド=1位、サモア=16位、スコットランド=7位。

 決してどれも楽な試合では無いが、勝機は充分にあると思われる。これまでラグビーには全く関心が無かった方、また既に観戦チケットを入手した方も、折角のワールドカップなので、大いに楽しみ皆で応援しようではないか。

 さて今回のタイトル「ブレイブ・ブロッサムズ」は日本代表のニックネームである。これは強豪ニュージーランドナショナルチームを「オールブラックス」 と呼ぶのと同様だ。

 そして私は、今年新たに仕入れたブレイブ・ブロッサムズのユニフォームのレプリカを着て、しきたり通りにビールをたらふく飲みながら、家のテレビでゆっくりと、熱い試合を観戦しようと考えているところである。

 「If there is no blood on the line, it is no rugby league」

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気になる言葉遣い

 一旦気になりだすと、どうしようもなく気になって仕方が無い言葉遣いがある。例えばファミリーレストランへ行き、仮に「親子丼」を注文したとしよう。暫くすると店員が出来上がった品をテーブルに置きながらこう言う「お待たせしました、こちらが親子丼になります」。

 いや、ちょっと待って貰いたい。鶏肉や卵等を持って来て、これからそれらを調理して親子丼になると言うのであれば未だ解るのである。しかし既に親子丼として確立された物が、如何にして更なる親子丼になると言うのか。

 もしかしたら、その店の親子丼は一般的な親子丼ではない為、客が戸惑う事がないよう「うちじゃあ、これが親子丼じゃけんね」と宣言する意味で、敢て「なります」と言っているのかも知れない。

 しかし、事が親子丼程度で済めばいいが、これが産婦人科だったらどうなるのか。生まれたばかりの赤子を見せられて「こちらがあなたの赤ちゃんになります」とか言われた暁には、一体どう対応すればいいというのであろうか。

  これは多分、「偏差値低い系アルバイト店員用マニュアル」みたいな物があって、それに書かれているのだろう。そう考えつつ調べてみる事にした。

 そこで先ず料金を徴収し、良質の番組を提供している筈の日本放送協会であれば、必ずしや正確な日本語を把握していると思い、サイト内を探す。やはりあった。

www.nhk.or.jp

 どうした事か何だか煮え切らない。実に不完全燃焼である。何故同じ局内のチコちゃんのように、舌鋒鋭く結論付け出来ないのだろうか。しかし、そうこうしている内に、また新たな気になる言葉遣いが現れた。

 今度はあなたがこう聞かれたとする。「この夏あなたは海外旅行に行きますか?」

 計画がある人は「はい、ピョンヤンへ行きます」(普通は行かない) とか答えればいいのだが、予定の無い人はついこう言ってしまうのではないか。「いいえ、行かないです」

 どうしてキッパリ「行きません」と言えないのだろうか。

 恐らく咄嗟に質問内容を判断し答えようとして、取敢えず相手の質問の「行く」を「ない」という否定形に変え、そのままでは気が引けるのか、「です」を付けて丁寧に聞こえるようにしただけではないのか。実は情けない事に、時折自分でも同じような言い方をする時があるのだ。

 何となく英語で Do you ?で聞かれているのに、yes とか no としか言わないのに似ているような気もする。尚この場合、正確には「Yes, I do」とか「No, I don't」と答えればよい。

 果たしてこのような言葉遣いが正しいのだろうか。再びNHKをチェックする。  

www.nhk.or.jp

 勿論、日本語も時代と共に変化してきた事は認める。従って新しい言い方も、やがて何の違和感も無く定着する日が来るのかも知れない。

 そして私は、かって日本語の乱れを恐らく嘆いたであろう先人達の心情に、一人思いを馳せるのである。

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