笑顔にはかなわない

 東京が雲ひとつない快晴に恵まれた11月10日、約12万人の老若男女が沿道に詰めかけたという「祝賀御列の儀」を、私は自宅のテレビで視聴した。

 穏やかな晩秋の陽射しを浴び凡そ30分の道程。髪に飾られたティアラの輝きにも増して、皇后陛下の晴れやかに煌めく笑顔を拝見。これまで色々あっただけに、誠に感無量、幸甚の至りである。

 歓呼の声の中、オープントップの御料車が、祝田橋から国会議事堂正門前を通過する辺りで、左手にある憲政公園の方を一瞥し、目頭を押さえられるシーンもあった。視線の先にはかっての職場、外務省が当時のままの姿で建っていた筈である。恐らく皇后さま御自身も種々想うところがあったに違いない。

 恐れ多い事ではあるが、それでもあの笑顔は、見ている者の心までも包み込むような、本当に柔和で美しく素敵な微笑みだったと思う。

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 笑顔と言えば、今年はこの人の事を避けては通れない。全英オープンのチャンピョン、渋野日向子選手だ。

 大会開始の頃はあまり関心は無かったのだが、競技が進むにつれ、殆ど無名だった日本選手の活躍が、そのユニークな記者会見内容と共に伝えられるようになり、私は眠い目を擦りながら、三日目と最終日の試合の模様をテレビ中継で見た。

 普通なら縮み上がるような場面でも、何ら動じる様子を見せる事なく、他の選手がアイアンで刻む中、平均飛距離260ヤードを誇る1Wを、思いっきり振り抜いたショットは的確にフェアウェーを捉えた。

 迎えた最終18番ホール。私も少しゴルフを嗜んだ経験があるが、勝敗が懸かったあのパットを打った瞬間、まるで自分がミスをしたように、思わず「強い」と声を上げてしまった。しかし彼女は下り6mのスライスラインを読み切って、見事にこれを沈めたのだった。

 彼女はそれでも、プレー中も駄菓子を頬張りながら決して笑顔を絶やす事は無く、ギャラリーへのサービスを怠る事も無かった。

 そして英BBC放送が付けたニックネームが「スマイリング・シンデレラ」。弱冠二十歳のあの強靭な精神力は、こぼれるような笑顔によって支えられたものだという気がしてならない。

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 ところで今回のタイトル「笑顔にはかなわない」。私はふと口を衝いて出てきた言葉をそのまま書いてみた。しかし、どこかで聞いた事があるような気がして調べると、岡村孝子の歌の題名である事が判明。CD等は持っていないので、多分Youtubeで見たのが頭の隅に残っていたのだろう。

 特段、彼女のファンという訳ではないが、今年の春頃、地元の広報誌に彼女のコンサートの広告があり、会場が近所なので行ってみようかと考えていたところ、直近になって急性白血病を発症した為、キャンセルになった事を知った。

 幸い彼女は完全完解し既に退院しているそうだが、いつの日か再びステージに立ち、優し気な笑顔を見せてくれる日が来る事を願って止まない。

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 そしてもう一人、白血病で思い浮かぶのは、日本水泳界のエース、池江璃花子選手だ。彼女もまた素敵な笑顔の持ち主で、泳ぎ終わって電光掲示板にいいタイムが表示された事を確認すると、満面の笑みを浮かべる。

 彼女のSNSを見るとここしばらく更新が無く、未だ厳しい治療の日々が続いているのだろうと思われるが、是非頑張って治療に専念して頂きたい。

 仮に第一線の競技者には復帰出来なかったとしても、まだ若いのだから幾らでも素晴らしい人生を送る事は可能だと思う。出来る事ならまた記録を塗り替え、あの屈託の無い笑顔を見せて貰いたいものである。

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 さて、私が笑顔の効用というものを感じるようになったのは、ここ数年の事である。勿論、誰でも悲しんだり怒ったりするよりも、笑って生きた方がいいに決まっている。しかし、これがなかなか難しい。私もそれまでは苦虫を嚙み潰したみたいに、しかめっ面ばかりしていた気がする。

 恐らく「別に面白くもないのに笑ってなんかいられるか」という醒めた目で、世の中を見ていたのだろう。今にして思えば本当に詰まらない歳月を送ってしまったと、残念で仕方がない。

 笑顔は人と人とのコミュニケーションを円滑にし、時としてどんな言葉よりも強く相手の心に訴えかける力があると思う。「笑顔にはかなわない」、なかなかいい言葉ではないだろうか。

 せめて残された人生、「笑顔が素敵な人」として過ごしたいと願って止まない今日この頃である。

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日光2019

 先月30日、紅葉を見に日光へ向かった私が、濃霧によって行く手を阻まれ断念した事は既に述べた。

 それでも一旦決めた事を、そのまま放棄するのは決して本意ではなく、まして紅葉となれば、まるで期間限定のハーゲンダッツのように、食べ損なうと次のチャンスは一年後になってしまうのも実に惜しい。

 家に引きこもって、各地の紅葉を伝えるテレビ画面を恨めし気に眺めたり、延々9時間もラジオで小田和正三昧を聞いている場合ではないのだ。とにかく、機を逃さず行動を起こさなければならない。

 しかし、行くタイミングを計るものの、天候が良い時はこちらの都合が悪く、行けそうになれば再び濃霧注意報発令と、どうも上手く噛み合わない。

 また、11月初旬の三連休は、間違いなく混雑のピークと予想されるので、大渋滞のドライブが好きならともかく、当然これは避けるべきである。

 そうしている内に今度は、奥日光の朝の気温が氷点下まで下がるとの気象予報が入った。これでは路面が凍結する恐れも出てきた。

 無為無策に気を揉む数日間が経過し、令和元年の秋が終わる間際の11月6日。ついにと言うか漸くと言うべきか、未だ空が覚めやらぬ明け六つ、やり残した想いが待つ国道120号線、別名「日本ロマンチック街道」を目指し、私は再び車のエンジンスタートボタンを押した。

 さて、相変わらず時代がかった前振りであった。簡単に言えば、日光へ行って来たのだ。残念ながら見頃と言う割には、思った程の色づきでは無く、苦労のし甲斐も無かったが、いつもの事ながら折角なので読者諸氏の目で確認願えれば幸甚である。尚、今年のルートは以下の通り。

 明智平~湯滝~戦場ヶ原~竜頭の滝上~竜頭の滝~中禅寺湖華厳の滝 

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気分はいつもロードスター

 突然、朝方の冷え込みで目が覚めた。ついこの間まで冷房を入れていたような気がするが、暦は既に霜月。通りの銀杏の葉は色づき始め、季節は確実に冬に向かっている。

 それでも日中の気温は未だ20度近くあって、少しだけひんやりとした空気が清々しく感じられる。この時期、移ろいゆく景色を眺めながら、あてもなく車を走らせるのも心地良い。

 ところで甚だ唐突ながら、私は今、マツダロードスターという車に乗っている。ご存知の方もいると思うが、この車には座席が二つしかなく、トランクは狭い。全く実用的という言葉とは縁遠い造りであり、おまけに屋根まで無い。否、一応、幌で出来た開閉可能なソフトトップはある。 

 勘違いしている人もいるかも知れない(実は私がそうだった)。そもそもこのロードスターという言葉は、いわゆる銀幕のスター等のスターとは違い、キラ星の如く燦然と公道を走る花形の人気者という意味ではない。因みに綴りは「Roadster」、「star」とは書かない。

  では一体何なのかと言えば、これはオープンカーの事を指す英国の言い方で、アメリカではコンパーチブルと呼ぶ。従って、どうしても星になりたければ、精々カーステレオでディープパープルの「ハイウェイスター」でもかけるしかないかも知れない。

 何れにしても折角屋根が開くのであるから、これを体感しない手はない。私はとにかく、雨さえ降っていなければ、路面温度が40度を超える真夏であろうが、凍てつく木枯らしが吹きすさぶ真冬であろうが、必ずオープンにして運転している。

 だがそうなる迄、最初の内はかなり抵抗もあった。先ずは何と言っても恥ずかしい。走っている時はそうでもないのだが、信号等で停止していると、何となく歩行者の視線を感じる。恰好いいイケメンならともかく、髪が薄く皮下脂肪もついた、いい歳をしたオッサンが運転しているのである。先ずは羞恥心を捨てる事が必須条件なのだ。 

 しかし、顔が丸見えになるせいで良い面もある。信号機の無い横断歩道の前に立ち、車の流れが途絶えるのを待っている人を見ると、殆どの車はこれを無視するが、こちらは目が合うので、止まらない訳にはいかないのである。やがてそれが当たり前になり、お陰で運転マナーは飛躍的に向上した。

 またオープンにすると、一般車のようなハードトップを支えるピラーが無い為、斜め後ろの視界が開け、安全運転にも寄与する。

 勿論、いい事ばかりでは無い。屋根の開閉は手動なので、運転中急な雨に対応出来ない。同様に上からの落下物に対して完全に無防備であり、それを回避しようとすれば、これはもうヘルメットを被るしか無い。

 また、極端に車高が低い為、前方に大型車がいると全く前を見渡せない。トラックの後ろについて交差点に突入したら、信号が赤になっていた。という事もしばしばある。

 そして低い車高は、未舗装の悪路走行には全く不向きである。下手をするとガリガリと腹を擦る危険性さえある。尤もわざわざ渓流を遡行してキャンプに行ったり、砂浜に乗り入れ車輪の跡を刻みながら、海亀の卵を踏み潰す趣味は持ち合わせていないが。

 他には高速運転中、カーステレオが全く聞こえない為、何となく寂しい思いをしなければならない。という事も挙げられる。

  しかし、それでもオープンカーには、そのようなデメリットを補っても余りある爽快感というものがある。かってハードトップにサンルーフを付けた車も生産されたが、フルオープンの解放感たるやそんな比ではない。例えるなら神宮球場のナイターとでも言うべきか。

 最近、若者の車離れが語られる事も多い。また若いファミリーでは、どうしてもワゴン車やSUVと呼ばれるスポーティーで多目的車両を選ぶ傾向にあると考えられる。

 従ってロードスターのようなオープンタイプのライトウエイトスポーツカーは、ある意味、子育てが終わり同居者も少なくなる、我々年代向けの車と言えるかも知れない。

 確かに私は決して若くはないし、客観的に考えて反射神経や運動能力が低下してもおかしくない年齢になった。

 それでも長年無事故無違反、ゴールド免許を続けており、無茶な運転はしない。たまに無謀な運転者にカチンとくる時もあるが、深呼吸を一回すれば落ち着くし後に尾を引く事もない。

 2019年、今年もこの秋ゆく街を走り抜け、どこか郊外まで出かけてみようと思う。そう、免許返納までは未だ時間がある。 

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紅葉狩り

 例年この時期になると、紅葉狩りに出掛けている。行き先はいつも栃木県日光。幾分飽きてはいるが、高速道路を使えば略半日で往復可能な圏内にあり、いろは坂では頭文字Dも楽しめる(嘘です、そんな事をしたら間違いなく死にます!)。唯一の難点と言えば、車を運転する為ビールが飲めない事位、非常にお手軽なのである。

 今年も紅葉情報と天気予報をチェックしつつ、行くタイミングを計っていたが、ついに「見頃」が発表され、早速10月30日午前5時、渋滞を避け夜明け前の暗闇の中を走り出した。

 秋は濃霧のシーズンでもあるが、その日はワイパーを使う程いつになく深い。それでも天気予報はお日様マーク。日が昇れば多分すっきり晴れるものと思われた。

 しかし東北自動車道を少し北上すると、いきなり80kmの速度制限。更にそれが50kmに変わる。だが、走ってさえいれば、多少時間は食っても目的地には到着する。それも見越して未明に出発したのだ。

 ところがやがて電光掲示板が行先の「通行止め」を伝え、途中のインターチェンジで強制的に降ろされる羽目になった。随分長く運転しているが、こんな経験は初めてである。だがこちらにはナビゲーションシステムという強い味方がいる。否、いる筈だった。

 ナビの音声案内に従って一般道を通り、何とか先のIC迄たどり着いたが、濃霧はここにも立ち込め、収まる気配はない。「どうしても今日行かなければならない用事ではない」、私はそう自分に言い聞かせ戻る事にした。

  だが、それからが散々だった。何が何でも通行止めの高速に乗りたがるナビの声を無視して、道路標識を頼りに田舎道をひた走る。そのうち通勤時間帯の渋滞に巻き込まれ、帰宅したのは家を出てから6時間後。ただ脱力感だけが残るドライブだった。

 本来であれば今回のブログで、撮影したばかりの奥日光の紅葉を御覧に入れる所存であったが、残念ながらそれは叶わない。仕方が無いので過去の写真を以下の通り投稿する事とした。しかし、私は未だ諦めた訳ではないのである。

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ハロウィーン

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 漸くヘッダーの画像に相応しいタイトルで書く日が来た。今日10月31日はハロウィーン、興味がある方は、先ずは改めてその概要などをウィキペディアで。

ja.wikipedia.org

 上述によれば、この祭事が日本で一般的になったのは2000年以降、はた迷惑な暴動まがいのバカ騒ぎは、ここ数年の事のようだ。

 どうりで1982年公開の S. スピルバーグの映画「E.T.」の中の変装シーンに対し、周囲の観客の反応が今一つ鈍く感じられた訳である。

 とにかくクリスマスに始まり、バレンタインデー、更には訳の分からないホワイトデーに至るまで、商魂逞しいお菓子屋達の扇動によって、新しい年中行事めいたものが次々と誕生した。最近では日付のゴロ合わせで、8月29日が焼き肉(八き二九) の日などというものまで出来て、何をか言わんやである。

 そしてこの一週間程、SNSを眺めると、猫も杓子もカボチャで作ったジャックオーランタンや、あまり似合っているとは思えない変装をした、自撮り画像のオンパレードで、少々うんざりするが、無論、今般の台風で被害を受けた方々を慮り、自粛しろなどと言う心算は毛頭無い。そのような無駄遣いこそ、経済発展の源となるかも知れないのだから。

  さて、ハロウィーン関連の思い出として、どうしても忘れられない出来事がある。1992年アメリカ南部で、変装をし訪問先を間違えて、他人の家の庭に侵入した日本の留学生が、あろうことか射殺されるという悲惨な事件が起きた。

 加害者が刑事裁判で無罪になった事もあり、当時は随分騒がれもしたが、米国では未だに銃規制はされておらず、何ともやるせない。もし、この事件で我々が得た知識が、銃を構え「動くな」を、英語では「フリーズ (Freeze)」という事と、決して「プリーズ (Please)」と聞き間違えをしてはいけない事位であるとしたら、あまりにも切ない。

  ところで一年前、このブログでハロウィーン関連の記事を書いているのを発見した。迷った結果、図々しくも以下にリンクを貼ったので、御既読の方も再度読んで頂ければ幸甚である。

 それではッピーロウィーン

kaze-no-katami.hatenablog.jp

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一番大切な写真

 これまで何度かこのブログに自分で撮った写真を、如何にも自信ありげに投稿した。では写真が趣味かと言うと特段そういう訳でも無く、知識、技術、機材等ことごとく素人の域を脱していないし、そんな事は言われなくても充分自覚している。

 それでも出来るなら多少なりとも印象に残る画像を残そうと常に心掛けており、真面目に撮影したい時は、廉価品ではあるが一応、ニコンデジタル一眼レフカメラを持参する。だがそれには、何やら悲しい性 (さが) のようなものを感じてしまう。

 実を言うと私は高校生の頃、写真部に籍を置いた時期があって、現像液や定着液の臭いが充満する暗室に籠り、大した出来でもない写真を、白黒印画紙にプリントした経験もある。

 その頃は、ゼンザブロニカというフォーカルプレーンシャッターの一眼レフカメラを使っていたが、これは自分の持ち物ではなく、父親が使わずに放置していた物を、勝手に持ち出していたに過ぎない。

 このカメラの特徴は何と言っても、ブローニー (120フィルム) と呼ばれる一般的ではないフィルムを用いる事で、写真1枚当たりのフィルムサイズは6cm x 6cm。これは引き伸ばせば伸ばす程その威力を発揮するが、何と一本12枚しか撮れないという代物であった。従って全くもって扱い辛く、フィルム代はかさむし親爺が放っておくのも当然かと思われた。

 しかし一見、名器ハッセルブラッドを思わせる形状といい、通常のシャッター音の「カシャッ」が、「バシャッ」と聞こえるくらいの大きさといい、そんじょそこらの一眼レフカメラなど正に鎧袖一触。まるで密閉型やバスレフ型のスピーカーを駆逐する、バックロードホーンのような強力な破壊力を持っていた。つまり要は持っているだけで、それなりの恰好が出来たのである。

 更に恰好をつける為、交換レンズも欲しいと考え、新宿のヨドバシカメラへ行ってみたりしたが、あまりに高額でとても手が出せない。尚、同店はその頃はその名の通り、カメラの他に写真に関する様々なアクセサリーも取り扱う専門店で、ここに来れば大概の物は揃った。

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写真はゼンザブロニカS2(いまだに完動、1/1000秒のシャッターが切れる)

 因みに当時は学内にも写真やカメラに凝る生徒は多く、もしかしたら流行していたのかも知れない。そして彼等にとって、一眼レフと200mmの望遠レンズという組み合わせが必須アイテムであり、また垂涎の的でもあった。

 そのうち私は、次第に大きなカメラを持ち歩くのが面倒になり、ジャーニーコニカと呼ばれたコニカC-35を主に使うようになったが、意外とこのカメラで撮った写真は、いい感じがする物も多かった。

 ところで写真は、芸術性はともかく、何と言ってもモノクロよりはカラーの方が圧倒的に情報量が多く、視覚に訴える力も遥かに上回る。あのポール・サイモンでさえ「コダクローム」という曲で「Everything looks worse in black and white」と歌っているくらいだ。今にして思えば何故あの頃、白黒に拘っていたのか不明である。

 その後、デジタルカメラが発売されると、私は早速オリンパスCAMEDIAを入手。それを持って欧州5ヵ国を回ったところ、何処へ行っても多くの外国人が、奇異な眼差しでそれを見ていた。まさに技術大国「日本」の面目躍如である。 

  最近は「インスタ映え」という言葉が示す通り、高性能なカメラを搭載したスマートフォンが普及し、それこそ一億総カメラマンの感がある。かく言う私も取敢えずインスタグラムに登録しており、レストラン等で問題が無い限り、美味しい料理があれば、思わずカメラを向けている事も多い。つい先日、最新のiPhone11に機種変更したので、今後が楽しみである。

 また、歳を取ったせいか、景勝地で若いカップルが互いに撮り合っている姿を見ると、ついつい「シャッターを押しましょうか」などと言って、お節介を焼いてしまったりもする。

 勿論、先方から頼まれる事もしばしばある。そしてそれはきっと、私が首から下げている黄色い「Nikon」の文字がある、黒地のストラップのせいだという気がしている。流石に世界のニコン日本光学の力は絶大だ。多分、これがCanonであっても同様かも知れないが、私は所持していないので分からない。

 以前、北京の天壇公園へ行った際、私はその時もニコンを首から下げて歩いていた。するといきなり私の手を引く者がいる。見ると団体客のワッペンを着けた小柄な老人が、自分のカメラを私に渡そうとしながら中国語で何か言っている。その先の方には同じく老婦人が立っていた。恐らく地方から首都「北京」観光にやって来た夫婦なのだろう。どうやら私に二人の写真を撮って貰いたいようだった。

 手渡されたカメラは昔ながらの銀塩カメラで、ピントらしきものを合わせシャッターを切ったが、デジタルではないので間違いなく撮れているか確認のしようがない。

 その時はそのまま慌ただしく別れた。だが後になって考えてみると、「彼等にとっては一生に一度の夫婦旅行だったかも知れない」と思うようになった。その記念写真を撮影するという大役を担ったのだ。

  そして私は次第に不安になってきた。しかし今更どうする事も出来ない。

 もう何年も前の昔話なのに、ニコンのストラップを見ると、何故か未だにその光景が鮮やかに蘇る。願わくばあの写真が確実に写っていて、彼等の想い出に色を添える事が出来たと信じたい。

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写真は天壇公園(北京)2004年10月

花よりさきと 知らぬ我が身を

 10月22日、天皇陛下の「即位礼正殿の儀」が滞りなく終了し、この後11月9日の「国民祭典」、10日には台風による甚大な被害を受けて延期となった「祝賀御列の儀」、そして14日から15日にかけて「大嘗の宮の儀」が続く。

 ところで、陛下が乗られる御料車には「菊の御紋章」が付されている事は、ご存知であろう。正式にはこれを「十六葉八重表菊」と言うそうであるが、興味がある方はネット等で検索して頂きたい(サービス悪い!) 

 因みに最近、ミッドウェー海戦で沈没した旧帝国海軍の空母「赤城」が発見されたというニュースが伝えられた。あの艦首にもこの紋章があった筈である。また現在、我々が所持する「日本国旅券」(パスポート)にも印刷されている。

 という事は、細かい説明は省くが、菊の紋章は天皇、皇室だけに限られているのでは無く、日本自体を表していると言える。

 確かに菊は、春の桜と並び称される日本の代表的な花であり、本来は秋に咲く。しかし電照に依り、今では一年中見る事が出来る。その証拠に葬儀にはいつでも白い菊が供養花として用いられている。

 という訳で、早速旬の菊の花を見に出かける事にした。尚、最近当ブログは、安直に写真を掲載してお茶を濁すという手抜きが多いような気もするが、あまり深く考えない事にしている。

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