桜の森の満開の下

 新型コロナウイルスに関する一連の出来事については、日々新たな展開を見せるので敢てここでは触れないものとする。

 さて今日3月27日は七十二候の一つ「桜始開」。併せて3(さ)x9(く)=27という語呂合わせから「日本さくらの会」が1992年に「桜の日」と制定したそうだ。本来なら桜が咲き始める時期なのだろうが、今年は観測史上最速で開花した為、既に満開となった地域もあるようだ。

 しかしながら斯かる状況下、どうしても花見の宴を開くというのであれば、自宅に桜の枝など飾ってこじんまりと行うしか手はないのである。

 尤も私自身は(勿論桜は好きだが)今まで散々このブログに写真など投稿して来た割に、所謂一般的な「お花見」をする習慣は持ち合わせていない。

 理由として先ずは煩わしい場所取り。しかも地面にシートを敷くだけでは尻や腰が辛い。加えて風が吹けば 桶屋が儲かる 埃が舞い、周囲は酔っ払いばかりで喧しく、おまけにトイレの心配もしなければならない。

 また、それとは全く別に子供の頃、坂口安吾の「桜の森の満開の下で」を読んでから「咲き誇る桜の下に行くと、あまりの美しさに正気を失うかも知れない」と一抹の不安を覚えるようになった事も挙げられる。

 更に「桜」とは直接関係無いものの、名作の誉れ高いこの小説の中の人の生首を眺める描写は、私のような小心者にとっては酷く衝撃的で、長い間その事が脳裏に焼きついて離れなくなってしまった。

 しかもそれを忘れかけた頃、今度は村上春樹の「海辺のカフカ」に登場する「猫殺し」のジョニーウォーカーが冷蔵庫に猫の生首を入れているのを読み、再びトラウマが蘇ったりもした。

 まあ普通「桜」=「生首」を連想する人など多分いないと思うが、何故か私の脳内ではそのようにシナプスが繋がってしまうのである(実際に見た訳ではない)。

 それが最近になって漸くその影が薄らぎ、何ら臆せず眺める事が出来るようになると、改めて桜の美しさが心に沁み、結果、飽きもせずせっせと撮影に出かけるようになった次第。

 すっかり前置きが長くなった。とういう事で(一体どういう事か)、直近に撮影した桜の写真でまたまたYoutubeを作成した。読者の方々のウンザリする顔が目に浮かぶようだが、「桜の日」に免じて何卒ご容赦願いたい。そして気が向いたらで構わないので以下のリンクを御覧頂ければ幸甚である。


桜の森の満開の下/風のかたみの日記

 ご高承の通り、新型コロナウイルス感染拡大に伴い、首都圏では不要な外出や東京都への乗り入れ自粛の要請があった。私も善良な一市民として、これに準ずる所存である。

 そして次回からはマンネリを脱却し、少しでも違う内容にすべく思案中なので ある。

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