青春浪漫 告別演奏會顛末記 20

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12.「Don't Think Twice, It's All Right」クマは呟くように口ずさんだ 

 

 とにかく終わったのだ。アグリーはコンサートを録音したテープの注文を取って回っていた。クマのところにはヒナコとムーがやって来て、「3年で同じクラスです、よろしくお願いします。」と挨拶した。彼はその事を知らなかったが、珍しく愛想笑いを浮かべて新しい同級生に「こちらこそよろしく。」と返答した。

 その後、ナッパが例のカラオケテープを返しに来た。「これ表の方も聞いちゃった。いい声ね。」クマは予想通りの成り行きに『それで、ほら、他に何か言うことはないの? 例えば、私も実は前からクマさんの事が好きだったとか、春休みにデートに誘って欲しいとか・・・』と期待したが、やはり何も無かった。

 それは本来クマが言うべき言葉だったのだ。しかし彼はこの期に及んで尚、自分の気持ちを悟られまいと、わざと怒った振りをしただけだった。

 後になって聞いた話では、その時ニッカがセンヌキに、ナッパを「うたたね団」に入れてくれるよう頼んできたが、取敢えず高校生活での青春に決別したつもりの彼は「僕達はもう解散するんだ」とだけ答えて、その申し出を断った、という事も起きていた。

 カメは大阪へ行く為、そそくさと帰っていった。

 後片付けが行われている間、ナッパはニッカと窓辺にもたれ、思い悩んだような顔をしてうなだれていた。暮れ惑う黄昏は、空と雲と彼女の頬を紅に染めている。それは唯、別かれ別かれになるという感傷に浸っていただけなのかも知れないが、クマは何か言いたげだなその表情が強く心に残った。それ以外の者は心の中はどうであれ、何となく晴々とした顔つきだった。

 楽器や機材を再び学校のリヤカーに積み込むと、「うたたね団」はヒナコとムーに手伝わせてセンヌキの家へ向かった。ナッパはさよならさえ言わずに帰ってしまった。

 そしてヒナコとムーの二人はセンヌキの家のNAPスタジオで、録音されたばかりのテープを聞くや、地獄の光景を見たのだった。「うたたね団」の面々が互いに口汚く、けなし合いを始めたのである。

 「なんだこれは! センヌキは完全に間違ってるじゃないか。」

 「ゴメンよ! 間違ったもんはしょうがないじゃん。それよか何でクマの声ばかりデカく入ってんの?」

 「そうだ、クマの奴が一番感度のいいマイクを取ったんだ。汚ねえ野郎!」

 「違うよ、俺の方が声量があるんだよ。蚊のなくような声でボソボソ歌ってんじゃないよ!」

 「いや、クマはいつも自分さえ良ければいいと思ってんだ。」

 「悪かったねぇ。でもボーカルのバランスを調整するのは、ミキサーのトシキの仕事だろう。」

 「僕は知らないよ。もともとみんな下手なんじゃない?」トシキは核心を突く鋭い一言を発した。

 「なに~っ!!」

 「いや、そうだ。この曲の時はカメがボリュームをいじってたんだよ。」

 「そうかカメの責任か。」

 「うん、カメが一番悪い。」

 もとより喧嘩になる筈もなかったが、無事欠席裁判が済み少し落ち着くと、リヤカーを返しに学校へ戻り、全員近くの駒沢飯店に行ってタンメンを食べた。この店の売りは隣接する日体大女子寮に寄宿する学生の要望に応え、質より量で勝負する事だった。

 食べながらセンヌキとダンディーは、来年の大学受験について話していた。クマはそれに加わろうと、二、三言葉を探したが、すぐに止めてしまった。彼にとって今、受験などどうでもよかったのだ。『もうすべては終わったのだ』そんな感慨がこみ上げてきた。

 店を出て、アグリーがギターを2本持っているのを見たクマは、「オタクまで1本持って行ってやろうか? 俺は全部センヌキのところに置いてきたから。」と声をかけた。しかしアグリーは何故かその申し出を断った。本当はクマは誰かと一緒に帰りたい気分だったのだ。

 そこで解散した。もうI,S&N も「深沢うたたね団」も共に演奏することはないだろう。クマは黒いVANのダッフルコートの襟を立て、花冷えのする桜並木の一本道を深沢八丁目のバス停に向かって歩き出した。

 去年の秋、文化祭の準備で帰りが遅くなった時、ナッパと二人で歩いたこともあった。あの時、一体どんな会話をしたのだろうか? 何も思い出せなかった。そして今、この夜にひとり・・・。

 頭の中では一つの時代が終わったという実感のみが鈍く響いていた。心を燃やし、費やされた時間が、決して無意味ではなかったことを彼は知っている。しかし、今にして思えばこの二年間の喜び、悲しみ、そして苦しみなど、どれも些細な出来事に対する感情に過ぎなかった。

 「Don't  think  twice,  it' all  right 」昔聞いたボブ・ディランの歌を呟くように口ずさみながら、信号のところで立ち止まった彼は、「カフェテラス・ロッシュ」で幸せそうに食事をする見知らぬ若い二人の影に小さく微笑んだ。

 遠くから爆音と共にヘッドライトの明かりが次第に近づいて、やがて一瞬、目の前にオレンジ色のギャランGTOが姿を現し、歌声を掻き消して走り去った。

 そして、そのダックテールのリアデッキが国道246号線を多摩川に向かって小さくなってゆくのを、クマは唯ぼんやりといつまでも見送っていた。

  本当にすべては終わってしまったのだろうか。  <続>

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  さて、今回はあの夜クマが口ずさんだという曲を歌ってみた。


Don't think twice, it's all right/風のかたみの日記