ただその40分間の為だけに(23)

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 世田谷区民会館は隣接する区役所と同様、外壁が無くコンクリートの地肌を剥き出しにした灰色の建物だ。竣工が1959年である事を考えれば、当時としては斬新なデザインだったのかも知れないが、それから15年を経た今では単に無機質で冷たい外観の構造物という印象の方が強い。

 クマは以前、何度かその中に入った事がある。殆どは小学生の頃、学校で無理矢理書かされた読書感想文が世田谷区主催のコンクールに入選し表彰を受ける為だった。「そう考えるとあの時はここが出来てまだ間もない頃だったのか」クマは思った。 

 都立深沢高等学校の文化祭は3日間の日程で行われる。変わっているのは初日は学内ではなく、この施設を借り切って全校生徒と教職員のみ観覧する形が採られていた事だ。

 『一体誰がそんな事を決めたのだろう』誰もが一度は思う事だが、深く追求する者は無く、『まあ、どうでもいいか』そんな白けたアウトサイダー的考え方が当時の風潮とも言えた。

 「リハーサルは26日の9時からだって」文化祭準備委員会からの通知をヒナコがメンバーに伝えた。

 「どうやって行く」

 「バスだったら松陰神社前かな。僕は三軒茶屋だから世田谷線でも行けるけど」

 「あの辺りにシカンがあるだろう。あんまり行きたくないな」アグリーが言った。

「シカン」とは国士舘大学の事で、確かにすぐ近くに校舎があった。

 「なんで行きたくないの」

 「いや、何と言うか、あの学校は右翼みたいだろう。そんな所に長髪にジーパン姿でギターを抱えて行くのは危ないんじゃないか」

 「まさか、そんな事がある訳ないだろう」

 勿論それは冗談だった。彼等は唯、新聞委員会のアガタのように学生運動にシンパシーを感じていた訳ではなく、単に黒い学生服を着た応援団のような学生ばかりの大学とは一線を画したいと思っていただけだった。

 尤も、そのような服装をした者は実際のところ応援団くらいのもので、一般学生は皆ごく普通の格好をしていたのは言うまでもない。

 

 当日の朝、彼等が区民会館に到着すると、舞台裏にある控室で待機するように言われた。控室は男女別に二つの大部屋が用意されており、それは演劇等での着替えに対応する為だったが、ヒナコとムーはメガネユキコと共に、クマとアグリーはセンヌキと三人でそれぞれの部屋に入った。

 リハーサルは翌日の本番のプログラム通りに行われるとの事で、午後1時が出番の「ヒナコさんグループ」はそれまで別々に時間を潰さなければならない。クマとアグリーはセンヌキの提案に従い仕方なくIS&Nを復活、去年フェアウェルコンサートで演奏した曲などを歌って待つ事にした。


I,S&N at the Farewell Concert/風のかたみの日記

  「それはそうと昼飯はどうするんだよ」

 「ああ、近所の店にでも行ってみるか。役所や大学があるんだから食堂だってあるだろう」クマ達がそんな会話をしていると、何とチャコが大きな紙袋を持って現れた「こんにちは。これ、差し入れ」

 それを見たアグリーは大声で叫んだ。「おおっ、都立大のサンジェルマンだ」

 「知ってるのか」

 「ああ、ここのパンは抜群に旨い」

 「どうもありがとう」クマが包みを受け取ると、チャコは「明日、楽しみにしています」とだけ言って、ぺこりと頭を下げ出て行った。

 

 そして1時間遅れでリハーサルが始まった。スタッフは放送部員が中心となってやっているようだったが、如何せん彼等も慣れていない為、モニターは聞こえずハウリングはしまくり、とてもではないがまともに演奏出来る状況では無い。

 全体の指揮をとる文化祭準備委員長が声を荒げ叱咤するものの、改善は望めなかった。

 客席に座り音のバランス等をチェックしていたセンヌキが舞台の袖までやってきて「メチャクチャだよ」と報告する。

 「これで明日やるのか」アグリーの言葉にヒナコの顔が曇るのをクマは見逃さなかった。<続>

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