ただその40分間の為だけに(9)

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 その日、等々力のヒナコの家にムーとアグリー、そしてクマの四人が集合、記念すべき第一回目のミーティングが開かれた。

 『あの2ー4フェアウェル・コンサートから二か月余、ここにヒナコとムーの歌唱力、そしてクマとアグリーの演奏力を結集した、本校音楽史上かって類を見ない超弩級スーパーグループがついに誕生した』

 もし機関紙ダンディーの発行が続いていれば、恐らく一面三段抜きでそう伝えたに違いない。

 四人が揃うと「何か言ってよ」そうアグリーに促されたヒナコは立ち上がり、右手でマイクを持つ仕草をした。

 「えへん、えー、私達は今日、新しいグループを結成することになりました。つきましては先ず各人自己紹介をお願いします」勿論、今更自己紹介をする必要など無いが、「ヒューヒュー」とムーが手を叩いて奇声を発した。

 するとクマは突然提案をした。「それじゃあ面白味が無いから、他己紹介にしようよ」

 「なに、それ。蛸がどうかしたの」ヒナコが怪訝な顔をする。

 「いや、そうじゃなくて、他人がその人に成り代わって紹介するんだよ。例えばやってみると・・・。はい、僕がアグリーです。昭和32年目黒区五本木生まれ、今もそこに住んでいます。家族は両親と弟の四人です。趣味は音楽全般、聴く事とあとギターを少々弾きます。ハーモニカもやってます。好きなミュージシャンは何といってもビートルズ、他にも何でも聴きます。曲も作っていて、20世紀最大のメロディーメーカーになる予定です。クマと違ってテクニックよりもセンスが重要だと考えています。後は、キャンディーズの蘭ちゃんのファンです。好きな作家はアガサ・クリスティー、因みに僕のペンネームは阿笠栗助 ・・・。他に何かあったっけ・・・」

 「いや、もうそれだけ言えば十分」アグリーは苦笑いをした。

 クマも少し笑って応えたが、その時ふと全く別の考えが心をよぎった。『何故自分は今ここにいるのだろうか』

  この集合体への参加を最初に求められた時、クマにはナッパという存在があった。たとえナッパ自身は既に心が揺れていたとしても、少なくともクマの中では未だそれは脈々と息づいていたのだ。

それは春の日の柔らかな日差し

それは夏の日の暖かな夕立ち

それは秋の日の爽やかなそよ風

それは冬の日の穢れない粉雪・・・ 

 それ迄失恋の歌しか作らなかったクマはそんな詩を書き、遅れ馳せながら訪れた所謂青春を謳歌するつもりだった。しかし、その歌は決して歌われることも録音されることも無く、静かに記憶の淵に沈むように消えていった。

  『そして今、ここにいるんだ』

 

 「鍵付きサナダが小遣いをくれたよ」クマは教室に戻るとそう言った。学校は既に夏休みに入っていたが、2年4組の文化祭の責任者四名は打ち合わせの為登校し、出し物である演劇「父帰る」の進捗状況と今後の段取りを確認していた。

 概ね予定通り進んでいる事が分かると、クマは早々に帰宅する旨を皆に提案した。何故なら冷房設備の無い教室は長時間居座るには暑過ぎたのだ。

 勿論全員が了承し、筆頭責任者であるクマは、日直の教員へ下校届を出しに職員室へ行った。するとその日は、たまたま彼等の担任サナダ虫が当番で出勤しており、ここでもまた劇の進捗状況の話になった。

 他のクラスに比べ2年4組の準備は抜群に進んでいる、と職員室でも話題になっているらしく担任は満足そうであった。そしてその感謝の気持ちかどうか解らないが、クマが退出しようとすると、彼は自分の財布から千円札を取り出し「何か冷たい物でも食べて帰りなさい」と言って渡してくれたのだった。

 クマ、ダンディー、メガネユキコそしてナッパの四人は取敢えず学校のそばにある唯一の食堂、駒沢飯店でかき氷を食べることにした。クマにしてみれば、たとえ二人きりのデートではないにせよ、ナッパとこうして特別な時間を共有することが、この上もなく幸せに思えてならなかった。

 早々にかき氷を食べ終わると、まだ少し残金があったので隣の駄菓子屋で花火を買った。特段深い理由は無い。校舎の影で線香花火でもしようとクマが言い出したのだった。そして花火を持ったナッパがまるで子供のようにはしゃぐ様を、彼はそのすぐ後ろを歩きながら、まるで恋人のような目をして愛おしく見つめていた。

 その日から間もなく、クマはその一瞬を歌に閉じ込めようと言葉を探し、初めてまともなオリジナル曲を作って、それを「君に捧げる歌」と名付けた。 

日差しに歩く後ろ姿が 子供のようにはしゃいでたね 

買ったばかりの花火を振りながら 夜までとても待てないなんて

あの時言えばよかった 君がとても好きだって

僕の心を知ってるように 君の瞳が笑っていた

 1973年7月、あの暑い夏は、まだ始まったばかりだった。 


君に捧げる歌 Demo Version /風のかたみの日記

 

 その日から10か月余り、彼が望むと望まざるとに拘らず事態は大きく変化し、物語は等々力のヒナコの家にたどり着いた。

  クマの要領を真似てアグリーがクマを、ヒナコとムーがそれぞれお互いを紹介し合い他己紹介は無事終了、ミーティングはいよいよ本題に移った。

 「それで、一体何をやんの」クマが誰とは無しに問いかけた。彼は最初から、自分とアグリー二人はヒナコとムーの歌のバックでギターを弾くだけだと考えており、曲名さえ聞けば直ぐにでもコピーして練習する心算でいた。

 「それが未だ決まってないのよ」ヒナコはそう答え、ラジカセのスイッチを押した。流れ出した曲は何とアグリーが作った「僕達のナパガール」だった。そのテープはこれまでクマとアグリーが多重録音したオリジナル曲をクマが編集しアグリーに渡したものだ。


僕達のナパガール/風のかたみの日記

 「アグリーどんに借りたの」ヒナコの言葉にクマは黙って頷いた。

 「こんな風に自分達が作った歌を録音出来たらいいよね」口数の少ないムーが呟いた。

 「これはこれで結構大変だったんだよ、センヌキは間違えるしクマは怒るし」アグリーはそう言ってニヤっと笑いクマを見た。

 「えー、白クマのおじさんって怒るんだ」何故かムーだけはクマの事を白クマのおじさんと呼んでいた。

 「そりゃあ、聖人君子では無いし。まあ怒ると言ってもねえ」クマは本当のおじさんみたいな言い方をして笑ってみせた。たとえ心の中は嵐が吹き荒れていようと、それ位の振る舞いをすることは出来る。

 テープは続けてクマが作った「落ち葉の丘」が始まるところだった。<続>


落ち葉の丘/風のかたみの日記

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