ただその40分間の為だけに(22)

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 1974年9月、新学期が始まると校内の雰囲気は一気に文化祭一色に染まった。各クラスとも連日夜まで居残り準備に追われていたが、学級単位の催し物には一切関わっていない「ヒナコさんグループ」の面々も同様に連日連夜練習に明け暮れていた。

 午後6時以降校内に残る場合、本来ならば所定の用紙に人数、用件、下校時刻を記入、担任の認印を取った上で、学校へ届け出る旨校則に定められていた。しかし何故かクマ達は一度も書いた事は無く、それでいて特に咎められもしなかった。

 勿論それは、これまで彼等が素行上、何ら問題を起こしていないという実績のお陰かも知れなかったが、校内で喫煙している生徒など掃いて捨てる程いたにも拘らず、誰かが停学処分や厳重注意を受けたという話も殆ど聞いた事がなかった。すべては70年初頭まで吹き荒れた「学生運動」によって、「規律」という言葉が荒廃し形骸化したせいだったのだろう。 

 そのような中、本番を間近に控えた「ヒナコさんグループ」の状況を、音楽的リーダーの立場であるクマは次のように分析していた。

 『アンサンブルはある程度のまとまりが出てきたが、自分が示したハーモーニーの旋律は、各人の勝手なセンスが微妙に反映されてしまい、完璧な3パートとは言い難い状況である。しかし、事ここに至って、これ以上の修正を要求する事はかえって混乱を招くだけと判断されるので、言いたい気持ちをグッと堪え、甘んじてそれを受け入れるべきだろう。当初の目標だったヒナコとムーが主役で自分とアグリーはバックアップというスタイルは崩れてしまったが、最早、ああだこうだと言ってるような時期ではない。今、大切な事はこの「ヒナコさんグループ」を如何に操縦し、アポロ11号のアームストロング船長ように、目的地に無事軟着陸させる事なのだ』 

 そんなクマの気持ちを知ってか知らずか、アグリーは相変わらず三度下のハモりのパートを平気で逸脱、いきなり三度上に飛んだりしてクマの神経を逆なでにしていた。

 一方、彼等の練習にはメガネユキコがまるでステージママのように常に現れ、黙って聞いていたが、彼女に言わせればそれは「かよわいヒナコちゃん達を危険なクマやアグリーから守る為」で、音楽に関してのアドバイスは全く期待出来なかった。尤も、彼女自身が醸し出す安定感は得難いものであったのは言うまでもない。

 また、元I, S & N のメンバーであるセンヌキも頻繁に顔を出して、気がついた部分に茶々を入れたりしていたが、殆ど役に立つ指摘ではなかった。それよりも彼が何か他の事を言いたげな素振りを見せる方がクマは気になっていたが、敢てそれを聞くことはしなかった。『これ以上、面倒な事は抱え込みたくない』

 

 「そろそろ」クマはそう切り出すと皆の顔を見ながら続けた。「演目を全て決めないと間に合わなくなると思うんだけど」その言葉にアグリー、ヒナコ、ムーの三人は黙って頷く。

 結局「ヒナコさんグループ」には40分間が与えられる事が決まり、その時間内で演奏する曲を確定しなければならない状況だった。世田谷区民会館の本番は27日、もう時間は残っていなかった。

 「それで整理すると、決まっているのは、アグリーの『観覧車』。それからヒナコの『さようなら通り過ぎる夏よ』と『秋祭り』。そしてムーの『ぎやまんの箱』と『ゆりかご』。以上五曲だけど、これでいいよね」

 「そうだね、後二、三曲必要って事か」アグリーが答えるとヒナコがそれに続けた。

 「あとはクマさんの曲じゃない」

 「うん、それで考えたんだけど、僕の『君に捧げる歌』とアグリーの『君への賛歌』をメドレーにして一曲にしたらどうかと思うんだ」

 三人は黙ってクマの顔を見た。

 「この二曲は言ってみれば僕等の記念碑みたいなもので、これをカップリングする事に意義があると思うんだ。勿論フルコーラスじゃなくて短くしたものをくっ付けて。そうすれば1.5曲分くらいの長さで済むと思う。それでキーが僕のがDで、アグリーのがEだけど、繋ぎの部分で転調すれば割とすんなりいける筈だ」

 「そうするとあと一曲」とヒナコ。

 「うん、ほぼ制作完了」クマが答える。

 「どんなん」アグリーが聞く。 

 「デモを作って来たんで聞いてくれる」そう言うとクマはSONYカセット・デンスケのプレイボタンを押した。


もう帰ろう(DEMO)/風のかたみの日記

 「なかなかいいじゃない。軽くてキャッチーだし。これで全部出揃った訳だ。で、この題名は」アグリーの言葉に「出来ればもっとアップテンポの曲があればいいんだけど。取敢えずリストにしてみると」そう言ってクマは黒板に書き出した。

  1.観覧車

  2.さようなら通り過ぎる夏よ

  3.ゆりかご

  4.秋祭り

  5.君に捧げる歌/君への賛歌

  6.ぎやまんの箱

  7.もう帰ろう

 「『もう帰ろう』って言うのか。ラストに相応しいタイトルだな。こうやってリストを見ると、結構それっぽいね」アグリーが笑いながら言う。

 「うん、題名だけだと実際の音が無い分いいかもね」クマは肩をすぼめた。

 「またクマさん、そんな事ばっかり言って」ヒナコが肘で突っつきながらクマを見た。<続>

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