ただその40分間の為だけに(最終回)

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 半年後、クマは晴れて大学生になっていた。「晴れて」という表現が第三志望の合格に相応しいかはさて置き、アグリーやセンヌキを始め、他の仲間の男子生徒は軒並み浪人暮らしが確定し、それとは対照的に女子では唯一人国立大学を目指すメガネユキコを除いて殆どが短大等に合格していた。

 尤も世間では一年間の浪人生活である「一浪」を「ひとなみ(人並)」と読み換え、ごく当たり前の事として認知しており、クマにしてもそれは選択肢のひとつではあったが、とにかく一日も早く自由の身を手に入れようと現役合格を目指していた彼は、迷わず入学手続きを取る事に決めたのだった。

 前年9月27日、「ヒナコさんグループ」の演奏を終えて世田谷区民会館から帰宅したクマは、ギターを始めた中学1年から伸ばしていた右手の爪を短く切り揃え、楽器は綺麗に拭きあげてケースにしまった。予定ではそれは、大願成就の日まで封印される筈であった。

  ところがその夜、センヌキからの電話が早くもクマの計画を狂わせる事になる。

 「あのさあ、明日28日と29日、ウチらの3年2組の教室でやる音楽喫茶で出演者が足りないんだ。で、一緒に出てくれない」

 「えー、何それ」クマはこのところセンヌキの態度が何か言いたげだった事を思い出した。『これの事だったのか』

 結局クマとアグリーはセンヌキに付き合う事に決め、彼の要望通りニール・ヤングの曲など演奏する為急遽I,S&Nを再結成したが、考えてみればその場所に「ヒナコさんグループ」も出演する事が可能だったのだ。しかし誰からもその話は出ないまま文化祭はあっけなく終了した。

 「ヒナコさんグループ」はあの40分間のステージの終了と共に自然消滅し、二度と共に演奏する事は無かった。それは最初からの取り決めというよりも、むしろ暗黙の了解だったと言うべきかも知れない。

 それから五ヶ月後、クマが大学の合格通知を受け取った頃、暫く何の接触も無かったチャコから手紙が届いた。しかもそれは航空便で、彼女がアメリカに留学した事と、昨年病死した仁昌寺教諭は実は自殺だった事実を伝えた。『あの司書教諭の身に一体何が起きたのだろう』クマは本人に会って問い質してみたい欲望に駆られたが、最早それは叶う事のない望みであった。

 

 『ふうー』そこまでタイプすると彼は大きくため息をつきパソコンの画面から顔を上げ、キッチンで夕食の支度をする妻に向かって独り言のように話しかけた。

 「それからチャコはアメリカで、ホームステイ先の家族と一緒に車で出掛け、事故に巻き込まれて亡くなったんだ」

 「メガネユキコ女史は一年後、志望通り国立大学に合格し、卒業後はダンナの実家がある富山県で小学校の教員になった。他の連中も一浪したら概ね進学出来たみたいだ。ただセンヌキの東大はダメだったけど」

 「ヒナコは聞いた話によると、しつこく言い寄って来る男がいて、そいつから逃げるように大坂に行き、そのままそこで誰かと結婚したらしい」

 「それと大学の時、ムーから一度手紙で一緒にやってくれないかと言って来たけど、その時はもう既に別のバンドで活動してたから断ってしまったんだ」

 「それで、こないだアグリーに電話でこの物語の話をしたら呆れられたよ。まだそんな事やってんのかって。で、なんでも深沢高校は今やFランまで落ちぶれたらしいんだ。Fランって学校のランク付けがAから数えて六番目のFで、入試なんか名前さえ書けば合格するような底辺校って事だって。まあ、もともと受験校じゃなかったけど、そこまで酷いとはね。卒業生として情けないよ」

 「ねえ、何ひとりでブツブツ言ってるの」キッチンから声が聞こえた。 

 それには答えず彼は彼女に訊ねた。「それでマドンナのナッパはどうなったのか知ってる」

 すると、無知で無邪気でほんの少し純粋だった「あの頃」と変わらない高い声が答えた。「ナッパさんはね、色々あったけど、今こうしてクマさんとかいう高校の同級生のお嫁さんになったみたいよ」<完>


あなたに会えて/風のかたみの日記

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  この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。