遂にその時が訪れた。しかし「ヒナコさんグループ」に緊張感や気負いは無かった。それは偏にこれまでの膨大な練習量の賜物と言えよう。クマにしてみても同じ曲をこれ程繰り返し演奏した経験はかって無かった。
「行くよ」ステージへ続く暗い通路に響いたクマの言葉に、ヒナコは大きく頷いてムーの肩を軽く叩き、両手にギターを抱えていたクマとアグリーは、目だけで互いに合図し合う。そして足を踏み出した。
その30分程前、彼等に文化祭準備委員長から持ち時間短縮の要請があった。「二曲位カット出来ないか」それは十分予想出来た事だったがスケジュールは押していた。
だがそれに対しクマは毅然として答えた「それは受け入れられない。僕等はこの40分間、ただその為だけに、この半年間を送って来たんだ。一曲たりとも外す訳にはいかない。それでも可能な限り曲と曲の間を短くするように努力はする」
スポットライトに照らされたステージからは、客席は暗い海面のようにざわざわとした音だけが聞こえ全く何も見えなかった。それは昨年修学旅行の帰路、高知から乗船した「さんふらわあ」から眺めた夜の海と同じだった。
『しかし』クマは思った。『しかしこの闇の中には、それぞれの物語を背負った千余名の人間がいるのだ。この二年半の歳月、歓びと悲しみを分かち合った人達、ナッパやチャコ、「深沢うたたね団」の面々・・・。しかしあの司書教諭はいない』
彼の脳裏には一瞬走馬燈のように幾つもの顔が浮かんで消えた。『これは、そう、彼等へのささやかな贈り物、レクイエムなのだ』
そして全ての曲が終わった時、時計の針は午後2時丁度を指していた。<続>