<号外>「怪奇 月を食らふ」

 本来であれば、今回は小田和正氏のコンサートツアー「こんど、君と」の後編を投稿すべきところ、私が手間取っている間も宇宙空間にある天体は規則通り運動を続け、気がつけば11月8日は月食だという。しかもただの月食ではなく怪奇皆既月食なのだ。

 加えて今回の月食について世間は妙に騒がしい。どうやら月食に合わせ天王星が月の背後を通過するらしい。このように月と惑星食が同時に起きるのは、実に442年振り。更に次回の月と惑星食(今度は土星)は332年後との由。

 しかしである。だからと言ってそれ程貴重な体験になるとは思えない。天王星の明るさは6等星相当であり、子供の頃、肉眼で見える限界は6等星だという話を聞いた覚えがある。多分それも街の明かりなど無い、空気の澄んだど田舎の山奥地域での事だろう。要は高性能な機材を持っていない限り、天王星などout of 眼中なのだ。

 「東京には空がない」と智恵子が言って久しい。併せてこちらもメガネ無しでは生活も出来ない。これはもうターゲットを月に絞る方が賢明であるとの結論に達した。

 そこで月を狙うのは500mmのズームレンズにしようと考えたが長いし重いし暗い。尚且つ、これを使うには三脚も持っていかねばならない。普段、箸より重い物は持たない主義なので、あっさり諦め70~300mmにした。あとは標準レンズをベストのポケットに入れて午後6時頃出掛けた。

 程なく、前日ぬかりなく確認したポイントに到着、バッチリ満月が見える。取り敢えず標準レンズをセットしたところ何か変だ。チェックすると殆ど同じサイズのマクロレンズを持って来たのだ。『おい、月面の砂を接写する気か』そう自分を皮肉っても面白くも何ともない。

 そうこうしているうちに月が食われ始めた。因みに「食」とは食物をかじった後、歯型が丸く残る事も意味するらしい。それはともかく、仕方ないので300mmを取り付ける。

 以前、満月に近い月を撮影した際、AFできちんと写っていたので今回もそうすると、何故か月が真っ白になる。設定を変えようにも暗くてよく見えないし。適当にパラメータをいじってみたが上手く行かない。

 さてエキスキューズはこの位にして、以下が2022年11月8日、私の皆既月食の写真である。

         

         

         

         

         

 尚、次回の皆既月食(惑星食の連動は無し)は2025年9月8日との事。もし機会があれば、今度はもう少し鮮明な画像を撮りたいものである。

 ところで442年前の天正8年、キムタク織田信長は何処で誰とどんな気持ちで月食を眺めたのだろうか。

      

「こんど、君と」(中編)

 ♪ 大いなる河のように 時は流れ戻るすべもない ♪

 そして10月19日18時40分、定刻より10分遅れで会場の照明が静かに落ちた。昔ながらの席案内人のような灯りに導かれ、10名弱の影がステージの定位置に腰を下ろす。

 それに合わせ満員の客席から起きた拍手が更に音を増した。見れば下手からもう一人歩いて来る。その影こそまさしくこのコンサートの主役、小田和正に間違いない。

 ここ、「さいたまスーパーアリーナ」は、JR大宮駅と与野駅の間に平成12年(2000年)5月5日、新設された「さいたま新都心駅」に隣接、最大37,000人を収容する多目的アリーナとして埼玉県が650億円を投じオープンした。

   

                

 因みにこの「新都心」という言い方は予てから「ダサイたま」と蔑まれ、然したる名物や特産品も無く、地元出身有名人といえばアルフィーのタカミー位しか出てこない状況を払拭しようと埼玉県が勝手につけた訳ではなく、東京に一極集中する国の業務を分散する為、昭和61年(1986年)に制定された「第四次全国総合開発計画」に依るものなのだそうである。

 その証拠に、かっての大宮操車場の跡地に中央官庁の分室が所在する合同庁舎や大手企業の社屋ビルが既に立ち並んでおり、そこだけ見れば霞が関と比べても何の遜色も無い。

 小田和正はスポットライトに照らされアリーナ席を丸く取り囲む花道への階段を上がる。同時にバックバンドが演奏を始め、75年経っても変わる事のないあの声が響き渡った。6月に発表した新アルバム「early summer 2022」の一曲目に収録された「風を待って」だ。と、言いたいところだが、実はその時私は『あれっ、この曲何だっけ』という長年のフリークにあるまじき状態だった。

 勿論、これ迄新譜が出る度に入手し、家で3回程真剣に聴いた後、暫く車に積んで運転中に流して来た。従って相当な回数耳にしている筈である。かって「レコードが擦り切れる迄」という表現があったが、あの黒い溝の左右に刻み込まれた一音一音を聞き分けようとした、あの頃の情熱みたいなものを無くしてしまったのかも知れない。

 続いてはこれも比較的新しい「会いに行く」。そしてオフコース時代の人気曲「愛を止めないで」。通常この歌は観客の大合唱が始まってもおかしくないが、コロナ禍に伴う主催者の注意事項を踏まえ、皆マスクをし手拍子程度で満足しているようだ。

 やはり小田和正=品行方正というイメージがそうさせているのだろうか。暴走族スタイルをして会場内で酒を飲み、挙句に喧嘩を始めるような連中は間違っても来ない。

 ところで、このような音楽専用ではない大ホールでは、どうしても音が跳ね返る。だがよくよく聴いていると何か違った種類の音が混じって聴こえる。しかも時折音程が危うくなる。嫌な予感がした。

 私の席の左隣はチケットを抑えてくれた同級生。右は女性二人連れの年上らしき人で、もしかしたら母親かも知れない。どうもその女性が鼻歌程度に歌っているようなのだ。しかし如何せん照明は暗いしマスクもしているので確認は出来ない。ましてや「オバサン、歌っていますか」と訊く訳にもいかない。

 それでも歌の息継ぎに合わせて上下する腹部の動きを見ると、私の推測に間違いは無さそうだった。♪ 愛を止めないで、そこから逃げないで ♪ とにかく人の耳元で囁くようにそう歌うのだけは止めて貰いたいものである。勘違いしそうではないか。

 さて、小田のコンサートには昔から変わらないスタイルがひとつある。あまり喋らないのだ。バックミュージシャンのメンバー紹介はするし、時々似つかわしくない事を口走って妙に受けたりもするが、基本的には休みなく演奏を続ける。 

 次も曲名を告げる事なくイントロが始まった。古い歌だがそこにいる誰もが知っている筈だ。オフコースが未だ鈴木康博と二人だった頃のアルバム「JUNKTION」からシングルカットされ殆どヒットしなかったにも拘わらず、ファンクラブの人気投票では必ず1位になっていた「秋の気配」。

           

 私はこれを初めて聴いた時、最初の4小節で「この歌は絶対いい歌だ」と確信した。この曲が世に出て45年。今の若い人は知らないし、共感する事もないかも知れない。しかしある程度以上の年代の人からは未だに圧倒的な支持を受けている。

 旧水戸藩が生んだ美人シャンソン歌手で、はてなブロガーでもある安達由美 yumi (id:yumi98chan) さんも、先日のソロライブに於いてジャンルを超えこの曲を歌ったそうだ。という事は彼女はある程度以上の年代なのかな。<続>

【安達由美さん (id:yumi98chan) 】

              

      

「こんど、君と」(前編)

 ♪ あの人に会える だからここに来る ♪

 2019年6月27日、全国レベルで展開する「ENCALL!ENCALL!」とタイトルされたコンサートツアーの一環、埼玉公演を生で視聴しに、私はここ埼玉スーパーアリーナへやって来た。そしてそれから3年余り、2022年10月19日、再び同じ場所に立っている。

    

              

 今回、タイトルこそ「こんど、君と」に変わったが、変わらないのは、このコンサートの主。数々の最高齢記録を次から次へと塗り替え続ける、伝説のシンガーソングライター、ご存じ小田和正だ。

 尤も、このツアーに限って言えば、前回、愛媛・松山での最終公演に於いて小田本人が予告した「また会おうぜ」との言葉を実現する形で開催される為、ある意味想定内であり特段驚くにはあたらない。折しも新型コロナに対する制限も緩和され、8年振りのオリジナルアルバム「early summer 2022」の6月15日リリースを発表。正に機は熟したとはこのことか。

 やがてツアーの全容が明らかになる。6月3日福島をスタート、12月1日沖縄まで全国15か所32公演、総観客動員数30万人だという。昔からのオフコースフォロワーとして、こちらがすべき事は唯一つ。チケット発売日の情報を見逃さず確実にそれを入手するだけである。

 そこで私は一般より早く販売が始まるチケットサービス会社の会員に登録をし、いつも一緒に行く大学の同級生に至っては、ツアーを主催する事務所の有料会員になってこれに備えた。結果的にはこれが功を奏した。10月中旬のコンサートチケットを夏が始まる前には押さえる事が出来たのだ。

            

 ツアーは予定通り始まり順調にスケジュールをこなしているようだった。それを伝えるマスコミ等のレポートはどれも好意的で、年齢を感じさせないあのヒマラヤ山脈のようなテノールやステージでの運動量を称賛する記事ばかりである。だが、それが出来なくなった時、小田和正というミュージシャンは人前で歌う事を止めると私は思う。

 猛暑が続いた7月が終わる頃、思いもかけないニュースが飛び込んできた。ツアーメンバー1人が新型コロナウイルスに感染したのを受け、全員CPR検査を受けたところ何と小田本人の陽性が判明したとの由。

 この影響で8月中旬までの東京、沖縄の4公演が開催見送りになるという。本人の細かい容体は判らないが、早々に自宅に戻り療養中らしい。大した事はなさそうだ。しかしである、小田和正は今年75歳なのだ。同世代の吉田拓郎財津和夫も寄る年波に逆らえず、第一線から引退すると宣言している。そこへ持って来て新型コロナ。後遺症が残っても何の不思議もない。

 だが、私の不安は幸い取り越し苦労に終わり、ツアーは再開された。恐るべし小田和正

 やがて埼玉公演まで凡そ1ヶ月となった9月14日。気象庁は日本の南海上にある熱帯低気圧が台風に発達したと伝えた。この台風14号は日本に近づくに連れ勢力を拡大し、9月17日午後には中心気圧910hp、最大瞬間風速55mにまで達した。

 かかる状況下、同庁は同日「経験したことがないような暴風雨・波浪・高潮の恐れ」があるとして記者会見を開き、九州南部・北部に特別警報を発表した。

 何の因果か翌18日、小田のツアーは福岡マリンエッセでの公演を控えていたが、17日中に中止を決定しHPで伝えた。混乱を避ける為には仕方がない措置であり、誰もが納得した筈だ。

 ところが偶々同日、福岡paypayドームでは何とあの矢沢永吉のツアーが予定されていたのだ。矢沢サイドは当日18日の昼になって「コンサート実施を希望する声が多く、自分の判断で安全と帰路を確保出来る人は来て欲しい。来場出来ない人には払い戻しをする」と発表。結果的に台風直撃は免れたものの地下鉄等の公共交通機関は運休、頼みの綱のタクシーは殆ど捕まらず、多数の帰宅難民が発生。一説には地元住民用の避難所が「E.YAZAWA」とプリントされたタオルで一杯になったという。

 この件はニュースにもなったのでご存じの方も多いだろう。勿論、小田が正しく矢沢が間違っていると言いたいのではない。また画一的なマニュアルで安全が担保出来る訳でもないだろう。しかし万単位の人が絡む話なのだ。会場夫々の立地を鑑み判り易いルールを整備してもいいのではないだろうか。

 そんな事を漠然と考えながら、私は来る10月19日、何事も起こらない事を願っていた。<続>

     

秋の六/七草

 普通「七草」といえば、毎年1月7日の朝、年末年始で疲弊した身体を労り、新たな年の無病息災を願って食べる粥の具材を指す事が多い。

 古くは中国から伝わり、平安時代に始まったと言われるこの「七草粥」の風習は、江戸時代になって全国に広まり、今日まで連綿と続いてきた。その証拠に今では年が明けると、スーパーの青果売り場の棚に七種類をセットにした袋が並べられる。

 尚、ここでいう「七草」とは所謂「春の七草」の事である。『おいおい、1月7日と言えば冬の真っ盛り。その頃手に入る雑草が何で春なんだよ』と思われる方も中にはいるかも知れない。

 しかし年賀状に「新春」とか「迎春」等の言葉を使う事を思えば、何の違和感もないのではなかろうか。

 さて、今更ではあるが、今回テーマは季節外れの「春の七草」や「七草粥」について深く掘り下げようという話ではない。何と我が国には「春」の他に「秋の七草」もあるというのだ。

 取り敢えず名前だけは知っていた私の脳裏にある疑惑が浮かんだ、『「秋の七草」はどうも胡散臭い。確固たる由来のある「海の日」に対し、取り敢えず作った「山の日」みたいなものではないか』

 念の為に調べてみると、私はとんでもない思い違いをしていた事に気付いた。奈良時代末期に編まれたわが国最古の和歌集「万葉集」の中に「秋の七草」について大伴家持が詠んだ二首が入っているのである。

 即ち

 秋の野に 咲きたる花を 指折り(およびをり) かき数ふれば 七種(ななくさ)の花

 萩の花 尾花(すすき) 葛花 撫子の花 女郎花 また藤袴 朝貌の花(ききょう)

 一首目では「秋の野に咲いている花を数えると七種類あった」とし、二首目ではその具体名を挙げている。

 そして私はたとえ一時でも疑った、せめてもの罪滅ぼしに、これまで撮影した約2万枚の写真の中から、この七草を探し出し紹介しようと考えた。しかしながら残念なことに「葛の花」全く見当たらず、「撫子の花」は同科同属ではあるが「シナノナデシコ」と呼ばれるものである。タイトル名を六/七としたのはその為だ。

1.【萩(ハギ)】

         

2.【尾花(オバナ)】

         

3.【葛(クズ)】 写真無し

4.【撫子(ナデシコ

         

5.【女郎花(オミナエシ)】

         

6.【藤袴(フジバカマ)】

         

7.【桔梗(キキョウ)】

             

 最後になるが「春の七草」と「秋の七草」の最大の相違点は「春」が食用であるのに対し「秋は観賞用」という事だろうか。

 

     

季節の花(令和四年九月)

 大型で強い台風14号が列島各地に爪痕を残して過ぎ去ると、暑かった夏の残り香は、何一つ想い出を残さずに荒れ狂う嵐の中へ消えてしまった。

 しかも翌朝カーテンを開くと、そこにあるのは見慣れた台風一過の青空ではなく、それを覆い、今にも降り出しそうに低く垂れ込め流れる灰色の雲だけだ。

 『まったく、何て事だ。塵も埃も汚染物質も吹き飛ばされた、あの青空も見られなくなったのか』

 だが、変わった事と言えば他にもある。台風の発生場所だ。かっては赤道付近というのが常識であったが、最近は熱帯低気圧のままジワジワと北上を続け、日本に近づくにつれて勢力を増し、台風になった途端、上陸というパターンが増えてきた。(因みにここで台風とは風速約17m以上の熱帯低気圧をいう)

 14号に続き日本に影響を与えた台風15号が正にその典型だった。上陸こそしなかったものの台風になるや否や、近畿から東海、特に静岡県に記録的な豪雨をもたらした。

 このような現象は、日本近海の海水温度が上昇している事を意味する。そしてその原因として海流(黒潮)の変化、大陸内部の気温変化が挙げられるという。

 環境の変化は、秋刀魚の漁獲量が年々減少するように、季節を彩る草花も時期や生息地を変え、やがては絶滅させてしまうのかも知れない。

 それでもすべてを地球温暖化のせいには出来ないかも知れない。

 さて、今回の「季節の花」も諸般の事情により一年前に作ったものである。既に見て頂いた方も、今回初めての方も、ご覧下されば幸甚である。

【カタカナは花の名( )内は花言葉動画は出来ればフルスクリーンの最高画質で】

 

             

とんぼのメガネ

 読者諸氏の中には「とんぼ」を捕まえてやろうと、あの大きな眼に向かって指をクルクルと回した事がある人はいるだろうか。

 子供の頃、誰に教わったのか覚えていないが、私や私の友達は「とんぼ」見つけると、こぞって人差し指をクルクルやったものだ。

 『そうする事で「とんぼ」が眼を回しフラフラしているところを捕える』間違えなく筋書きはこうだった筈だ。

 しかし、今思い返してみても、そうやって「とんぼ」を捕まえた人も、また捕まった「とんぼ」も見た記憶がない。人生を左右する程の問題ではないものの、どうにも気になって仕方がない。

 早速、玉石混交の情報が溢れるネットを検索してみると、あった。一番激しいのは、指を回していると「とんぼ」の頭がポロっと取れてしまう、というもので俄かには信じられない。他は概ね似たようなもので、

 1.「とんぼ」が眼を回す事はない。

 2.「とんぼ」の複眼は動きの速いものは捉えるが、指を回す程度はよく見えない。

 3.従って指の動きに神経が集中する。

 4.そこを後ろから手を回して掴めば捕獲し易い。

 との事であるが、こちらも説得力があるとは言い難い。

 尤も今更昆虫採集をする心算はなくカメラで捉えるのが精一杯。その結果が以下の写真である。(尚、写真はクリック乃至ピンチアウトで拡大する)

【オオシオカラトンボ

          

          

【コシアキトンボ】

          

          

【ハグロトンボ】

          

          

【ナツアカネ】

          

アキアカネ

          

          

 過日、歩いていると小さな子供を連れた若い父親らしき男性がいる。よくよく見たら何と枝の先にとまっている「とんぼ」に向かって指をクルクル回しているではないか。日本文化の伝統的狩猟法は絶えることなく連綿と続いていたのだ。

(「とんぼ」は幼虫(ヤゴ)の頃はボウフラを、成虫になってから蚊を食す人間にとって益虫なので大事にしましょう)

      

てふてふの想ひ出

 蝉の声が次第に小さくなって来た今日この頃、今度は花から花へとさかんに飛び回る蝶の姿が目につく。

 しかし、蝶と言えば何となく春の風物詩のような気がする。現に俳句の季語は間違いなく春である。唯、一年を通じてその姿を見られることから、それぞれ「夏の蝶」「秋の蝶」等とする事で、春以外の季語としても使用出来るという。

 ならば何故、春の印象が強いのか。私は童謡の「蝶々」の歌詞がその一因ではないかと睨んでいる。曰く

 蝶々 蝶々 菜の葉にとまれ

 菜の葉が飽いたら 桜にとまれ

 桜の花の 花から花へ

 とまれよ遊べ

 遊べよとまれ

 ご覧の通り「菜の葉」(花ではなく葉の方)と「桜」は春を代表する草木であり、このような歌を幼い頃から意味も解らず歌わされたら、否が応でも蝶=春と洗脳されるのではないだろうか。

 だが実際のところ桜にとまっているのは蜂や虻、または野鳥のメジロヒヨドリであり、決して蝶ではない。尤もこのように歌と現実が異なる例は他にもあって、「夏が来れば水芭蕉が咲いている尾瀬を思い出す」と歌う曲もあるが、それを信じて夏に出掛けると水芭蕉は既に枯れた後なのである。

 ところで読者諸氏は蝶の寿命についてご存じだろうか。我が国に於いても300種を越える蝶がいるそうなので一概には言えないが、例えばアゲハ蝶は春から秋にかけて何と3乃至4回、世代替わりをするらしい。

 とすると大雑把に言えば、平均的な蝶の寿命は、卵=5日、幼虫=20日、サナギ=10日、成虫=8日、合計43日となる。

 蝉が3年以上も土の中で過ごし、成虫として飛び回るのがせいぜい1ヶ月という事から、彼らの短い夏を哀れんだものだが、蝶の一生に比べれば随分長いではないか。

 さて、前置きが長くなってしまった。今回は今まで撮り貯めた蝶の写真を紹介したい。

【モンシロチョウ】

          

【キチョウ】

          

【アカボシゴマダラ】

          

ナミアゲハ

          

【アオスジアゲハ】

          

【アゲハチョウ】

          

ヒメアカタテハ

          

ナガサキアゲハ

          

ジャコウアゲハ

          

オオゴマダラ     

          

ヤマトシジミ

          

 

      

 その後、調べた結果、桜にとまる蝶がいる事が判明した。どうやら【ギフチョウ】や【スジグロシロチョウ】等数種類に限られるとのこと。