(緊急投稿)D・クロスビー逝く

 本来であれば前回の「正月の想い出」の続きを投稿すべきところではあるが、やはりこの知らせに触れることなく通り過ぎる訳にはいかない。

 私が特に好きなミュージシャンの一人、デイヴィッド・クロスビー(David Crosby) が、長い闘病生活の末1月19日に亡くなったとマスコミ各社が伝えた。享年81歳、死因等は不明である。

 恐らく読者諸氏にはご存じない方が多いと思われるので、一応ご紹介を。

 私は小学生の頃ラジオで聴いたサイモン&ガーファンクルに衝撃を受け、中学1年の時、親にねだってギターを買って貰った。それから友人と二人でひたすらS&Gのコピーに励み、続いてクロスビー, スティルス, ナッシュ&ヤングの演奏に強く心を引かれた。双方に何か共通点があるとすれば「アコースティックギター」だろうか。

 だが、S&Gでソングライターはサイモン1人だったが、今度は4人とも曲を書き、しかも各人かなり個性的である。そしてその中でも取分け不可思議で難解なのがクロスビーだった。それは主旋律のみならず演奏に於いても同様、所謂、変則チューニングである。

 一般的に変則チューニングと言えば6弦をドロップする(DADGBE)だが、開放弦で弾いた時、既にD(ニ長調)になっている(DADF#AD)や長調短調どちらでも使える(DADDAD)、他にGチューニング等もある。

 ところがクロスビーは違う。何と(EBDGAD)なのだ。一体どうすればこんなチューニングを思いつくのだろうか。それはともかく、私は高校2年の時、彼の代表曲「グウィニヴィア」に使われているこのチューニングを解読し、演奏をほぼコピーして人前で演奏する機会を得た。(仲間は受けないから止めろと言っていたが)

【グウィニヴィア 06:20~11:20 あたり】

 その後、クロスビーはソロ活動を続けながら盟友グラハム・ナッシュとコンビを組み、アルバムの制作やコンサートツアーを行っており、来日の際、私は武道館で思いの外パワフルな2人の生の演奏を聴く好機に恵まれた。

 しかし彼は長年続けた薬物使用で体を壊し、挙句に拳銃不法所持により懲役刑を受ける事になる。それでもナッシュの励ましもあり、そこから奇跡的に立ち直って、それ以降、精力的に活動を続けてた結果、2021年7月には新しいアルバム「For Free」を発表するに至った。

 さて、せっかくの機会なので私にとっては名曲が多いクロスビーの作品から1番好きな曲と、C, S, N & Y のアルバムタイトルにもなったプログレッシブな1曲を。

【Crosby&Nashi:Homeward through the haze】

【Crosby, Stills, Nash & Young:Dèjá Vu】

 それにしても最近、かってのヒーロー達が次々にいなくなってゆく。そういう年代だと言われればそれまでだが、極東に住むこんな初老のオッサンにまで喪失感を与える彼等は、やはりヒーローと呼ぶに相応しい存在だったのである。

         

(緊急投稿)ママちゃん様ありがとう

 ご存知の通り、「はてなブログ」では意中のブロガー諸氏の読者登録をすると、更新の連絡が表示される。

 私は根が内気な為、自ら進んで登録はしないが、登録されれば余程問題が無い限りフォローバックするようにはしている。

 そのような消極的姿勢でも、つい先日、登録読者数500名に達するに至った。誠にありがたく心から御礼申し上げる。(あっ、意地悪で登録を止めたりしないでね)

 その登録者には長らく休止のままであったり、既に亡くなられたにも拘わらず、ご遺族の意向でアカウントを残しておられる方もいるし、1日に複数回投稿する人、毎日定刻アップの人も多い。内容も千差万別、それぞれ個性溢れる文章や専門的知識、素晴らしい写真、知られていない名曲の発掘等々、読んでいて興味は尽きない。

 その中でひと際異彩を放っているのが「ママちゃん」様のブログである。何やら怪しげな日本語を操り、美しい自然や陶器の写真を貼り付け、分かり易い割に蘊蓄のあるコメントが英語で書かれている。

         ママちゃん様のブログはこちら。

          Newday’s diary (hateblo.jp) 

 そして今日(4月21日)「はてなブログ」のメッセージは、そんなママちゃん様から、思いもかけず拙ブログを紹介して頂くという栄誉を伝えて来た。

 内容を拝見すると何と私が以前、YouTubeにアップロードした歌が貼り付けてある。これははっきり言ってハズい。

 しかし、ママちゃん様の毒気御好意に当てられてしまったのか、更なる恥の上塗りをしてみよう等と完全にトチ狂ってしまったのだ。

【1.アコギでCSN&Yのコピーをしてみた】

【高校3年、世田谷区民会館にて】

【大学2年、中野公会堂にて】

【大学の同級生で親友MKが途中迄作っていた歌を仕上げ、編曲してカラオケを作り、本人のボーカルを録音した。(しかも無報酬で)

【自分の演奏能力に限界を感じDTMを始めた】

【こちらも大学の同級生で親友TKのオーダーにより、結婚披露宴用の歌を作った】

 下の画像はママちゃん様の作品、ありがとうございます。

      

わたしのコレクション(後編)

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 前回に引き続き、今週のお題わたしのコレクション・持ってるギター大公開!企画」なのである。とは言っても高価な楽器をひけらかす訳ではないので、気軽にご覧頂きたい。

 先ずその前に、せっかくの機会なので、私とギターとの関わり合いについて、少し話をしようと思う。

 私は小学生の頃からラジオで音楽、特に洋楽を好んで聴くようになり、やがてサイモン&ガーファンクルの楽曲に興味を持つに至った。彼等の美しい旋律とハーモニー、そして胸に響く歌詞に強く惹かれたのだ。

 そしてレコードを少しずつ揃え、何度も繰り返し聴き込むうちに、いつか『自分もこんな風にギターを弾きながら歌えるようになれたらいいな』と考え始め、中学入学後、親にねだり安いガットギターを買って貰った。

 それから幾つかのディケイドが過ぎ、結局、演奏は大して上達しなかった。それでもこれ迄、手放した分を含め20本近いギターを所持してきたのだ。

 あの、心躍った季節、思い悩んだ日々、晴れやかな朝、切ない夜、至福の時、立ち盡した瞬間、気が付けばいつも私の側にはギターがあった・・・。

 それでは「私のコレクション」(後編)をどうぞ。

 6.中学3年の時、友人と語らって生徒会を牛耳りギター部を設立。その頃弾いていたガットギター(YAMAHA G-100D)

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 7. 高校時代、S.Yairi YD-304を愛用していたが、C,S,N&Y の影響で変則チューニングを使うようになった為、ライブ用に追加購入。クラシックギター製作者、松岡良治の工房が製造したD-45コピーモデル。

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 8.知人から貰った12弦。ネックが反ってしまい普通の握力ではとてもコードを押さえられない。人呼んで(?)大リーグボール養成ギター。(Morris B118)

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 9.お国の御用でアメリカへ行った際、最終日の自由時間、ニューヨークの楽器店で購入。(Ovation Custom Balladeer No.1712)

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 10.グレコテレキャスター、アイバニーズの鈴木康博モデルの次に入手したエレキ。(Fender Japan Stratocastar)

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 11.ジャズ(決して漫才ではない=念の為)をやろうと思い、取り敢えずホロウボディを。(Ibanez AG75)

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 12.現在、手を伸ばせば届く所に置いてある。(YAMAHA CGX-171CCA)

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 以上、全12本。忍び寄る断捨離の風潮を物ともせず、我が家に居座っているのである。

 尚、所有数と腕前は全く無関係なので、間違っても「弾いてみろ」等と言わないよう、くれぐれもお願い申し上げる次第。

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わたしのコレクション(前編)

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 相変わらず慢性ネタ不足症候群で、ブログ更新に窮しているのである。否、全くネタがない訳ではないが、どれも面倒臭そうなのでヤル気が出ない。平たく言えば手取り早く仕上げられるネタを思いつかないのだ。

 そこで、困った時の「今週のお題」。早速覗いて見ると「わたしのコレクション」とある。しかし、人に自慢出来るような物は何も持っておらず、これはこれで困ってしまう。

 そも、コレクションとは一体何なのか。

 コレクション【collection】① 趣味として集めること。収集。② 収集品。特に美術品・骨董品・書物などの収集品。(広辞苑 第六版より)

 『ふーん、なるほど』と頷いてみたものの、何も思い浮かばない。仕方なく手近にあったギターを取りポロンと弾いた。と、その時、またしても灰色の脳細胞に灯りが灯った。

 そうだ我が家のスペースをかなり占拠している物があった。しかも、それは生業ではなく完全に趣味の世界である。唯、収集しているのかと言えば、集める事を目的とはしていない。加えて、別に珍しい物でもなく、持っている人は結構沢山いる。ならば、後は数で勝負か。

 という訳でバカにされるのは覚悟の上で、今回は我が家にある「ギター」という楽器を全て見せてしまおう、という企画。表示する時間を節約する為、解像度の低いスマホで撮影する事とした。

 1.最初に入手したマーティン。(Martin D-41)この一本で満足する筈だった。

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 2.しかし、このクラシカルなスタイルも好きだったのだ。(Martin 00-21 GE)        

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 3.私の神様、ポール・サイモンシグネチャーモデルを見つけてしまった。世界で100本程度しか生産されていない希少品。(Martin OM-42PS) 

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 4.もう一人の神様、CSN&Yのスティーヴン・スティルスが初期に愛用していたモデルと同じ、フォアード・シフティッド・スキャロプドXブレーシング仕様。(Martin HD-28 V)   

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 5.そして結局フラッグシップも欲しくなった。(Martin D-45 SQ)       

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 と、ここまで書いて、思いの外、紙面を費やす事が判明。当初は一回で済ませる心算であったが、残りは次回へ、To be continued。

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遠くで汽笛を聞きながら

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 最近、頓に昔の出来事を思い出す事が多くなった。しかも20年以上も前の記憶ばかりだ。

 それはまるで、何度も観た映画を再生するように、優しく、懐かしく、愛おしく、切なく、ほろ苦く、そして少々うんざりする。

 二十代の終わり頃、勤務先の先輩達とバンドを組んだ。「酒を飲んで管を巻くばかりでは能が無い、何かもっとクリエイティブな事をしてみようではないか」、という発想からで、我々が夜な夜なたむろしていたスナックのマスターも加え、5人でスタートする事になった。バンド名は当然プロ・デビューを見据えてMISTRAL(ミストラル」。南仏プロヴァンス地方に吹く強い北西の季節風の名称だという。

 ところがこの5人の内、バンド経験者は私とクラーク博士の子弟らしいハンカクサイ道産子だけで、キーボードのChuuさんはピアノを習ってはいたが楽譜が無ければ何も弾けず、無理やりベースを買わせたShun-chanは白玉(全音符)さえも困難。マスターは「俺、昔、柳ジョージのバックでちょっと叩いた事がある」と自信満々だったが、直ぐに大法螺である事が判明した。

 練習は比較的安価な貸スタジオを見つけ、土曜日の午後1時に開始し夕方5時に終了。その後、反省会と称して延々11時まで呑み続けた為、結局、当初の目論見は崩れ酒量は逆に増えてしまった。

 最年少の私はバンドリーダーとして、課題曲の選定と音源、楽譜の事前配布が主な仕事だった。しかしメンバーの大半はスタジオに来てから自分のパートの練習を始める始末で、学生時代、中々スタジオを借りる事すら出来なかった貧乏アマチュア・ミュージシャンであった私は、偉そうに「スタジオはアンサンブルを確認する場所だ」等と、とにかく不真面目な諸先輩達に対し怒鳴り散らしてばかりいた。

 それでも生意気な後輩を叱る者もなく誰も辞めずに、バンドはその後、担当楽器の交代等をして、演奏技術向上の為、T-スクウェアのコピーもしてみたが、ある日突然、ドラムスに定着した道産子への転勤辞令に因ってその活動を休止した。

 更に白玉小僧からお茶くみに降格されたShun-chanは肝がんを患い、ふくよかだった身体はやせ細って30代で早世。彼の家族と共に最期を看取った情景は、今も目に焼き付いたままだ。

 やがて月日は流れ3年前。マスターから店を閉めるとの連絡があり、久し振りに残ったメンバーが一堂に会して、近況報告と名残を惜しんだ。

 そして、それが我々MISTRALの最期の飲み会となった。昨年末に届いた幾枚かの喪中葉書の一葉が、マスターの死を伝えてきたのだ。

 どうやら3年前の閉店時、既に咽頭がんに罹患していたらしい。そう言えば声が掠れていたような気もする。それでも一昨年前には転居の通知があったし、恐らく本人は再起する心算だったのだろうと思う。未だ70歳にはなっていない筈だ。

 さて、今回はそのバンド結成当初、偶々ラジカセで録音したマスターの声を、YouTubeに残しておこうと考えた。曲名はアリスの「遠くで汽笛を聞きながら」。

 音質、バランス共に悪い。第一、演奏が下手だ。もしそれでも良かったらお聴き願いたい。

 尚、クレジットではTake-chanとなっているが、目上の人なので私は一貫してマスターと呼んでいる。

www.youtube.com

 

 自分も含め、もういつ何時、知人の誰がこの世を去ってもおかしくない年齢に差し掛かりつつある。

 『言わなければ良かった後悔と、言えば良かった心残り』 許される範囲で私は、前者を選びたいと思う。

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Listen To The Band

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 NHKのニュースでも取り上げていたので。ご存じの方もおられる事と思うが、1965年から1970年まで活動した米国のアイドルバンド「ザ・モンキーズ」のメンバー、マイケル(マイク)・ネスミスが亡くなった。享年78歳。

www3.nhk.or.jp

 一般的にモンキーズと言えば「デイドリーム・ビリーバー」と相場は決まっているものの、元々ビートルズに対抗すべくオーディションで集められた4人が、ドタバタ喜劇のテレビ番組に出演し売り出そうという企画で、開始当初、本人達の音楽性や演奏能力は殆ど無い等と、ケチョンパンに言われていた。

 しかしながら楽曲は一流のソングライター達が提供しており、充分に聴き応えのある作品ばかりであった、と思う。

 さて、マイク・ネスミスはモンキーズのギタリストとして紹介されている。先ずはどのような感じだったのか、ご覧頂たい。

www.youtube.com

 ここでは結構センスの良いイントロを奏でている。尚、この歌の作者は「キャロル・キング

 マイクが弾いているギターはグレッチの12弦で、これは特注品らしい。CSNYのステーヴン・スティルスは「グレッチ最高の12弦ギターはマイク・ネスミスの為に作った物だ」と、いかにも羨ましそうに話している。

 ところでモンキーズでは殆どの曲をボーカルとタンバリンの「デイビー・ジョーンズ」とドラムスの「ミッキー・ドレンツ」が担当しており、マイクは一体どんな声だったのか。それが聴ける貴重な一曲がこれ。

www.youtube.com

 ペダルスティールギターも入り何となく米国の演歌「カントリー」風なアレンジではないだろうか。マイクの音楽的趣向は多分カントリーなのだろう。この事がより顕著に判るのがモンキーズ解散後、マイクが結成したバンドの曲である。

www.youtube.com

 尚、この歌はかなりヒットし、日本でも引っ切り無しにラジオでかかっていた記憶がある。

 という事で今は亡きマイク・ネスミスの軌跡についてサラッと駆け足で辿ってみた。折角なので最後に私が一番好きなモンキーズのナンバーを紹介したい。

 歌っているのはデイビー。そして2コーラス目を殆どリードボーカルの無いベースとキーボード担当、ピーター・トーク。二人共マイクより先に鬼籍に入っている。

rえwww.youtube.com

 独り残されたミッキー・ドレンツは、やはり寂しい思いをしているに違いない。

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こんなのあり?

 先だってひつじ (id:nyanteicafe)さんと二日間に渡り、サイモンとガーファンクルがソロになって以降の曲をYouTubeで紹介し合うというコラボレーションを行った。

 実はその際私は、以前から気になっていた事を思い出してしまった。それは所謂「パクリ」=「盗作」問題である。

 何と私が崇拝してやまない稀代のソングライターであるところのポール・サイモンの作品をパクった輩がいるのだ。それも日本ではかなり著名な音楽関係者なのである。

 先ず有名なところでは「いずみたく」という人がパクった作曲したらしい「夜明けのスキャット」なる歌がある。これがもろサイモンの「Sound of Silence」である事はもはや公然の秘密だ。とにかく聞いて頂きたい。


Simon and Garfunkel - The Sound of Silence (1966)


夜明けのスキャット 由紀さおり

  あまりの類似性にただただ唖然とするしかない。これだけ似ていて知らなかったでは済まされないだろう。因みにこの曲が発表されたのは1969年、サイモンの方は1964年にはレコード化されている。それでも平然としていた「いずみタフたく」恐るべし。

  さて今回、私が指摘したいのはこの件ではない。先ずはこの曲から。


Simon & Garfunkel - America (Audio)

  これは1968年、S&Gが発表したアルバム「ブックエンド」に収録され、当初シングルカットはされなかったものの彼等の代表的な一曲である。

  そこで問題なのは曲ではなく歌詞。先ずは原文から。

“Let us be lovers we’ll marry our fortunes together”
I’ve got some real estate here in my bag”
So we bought a pack of cigarettes and Mrs. Wagner pies
And we walked off to look for America

Kathy,” I said as we boarded a Greyhound in Pittsburgh
“Michigan seems like a dream to me now”
It took me four days to hitchhike from Saginaw
I’ve come to look for America

Laughing on the bus
Playing games with the faces
She said the man in the gabardine suit was a spy
I said “Be careful his bowtie is really a camera”

“Toss me a cigarette, I think there’s one in my raincoat”
“We smoked the last one an hour ago”
So I looked at the scenery, she read her magazine
And the moon rose over an open field

Kathy, I’m lost,” I said, though I knew she was sleeping
I’m empty and aching and I don’t know why
Counting the cars on the New Jersey Turnpike
They’ve all come to look for America
All come to look for America
All come to look for America

続いて和訳

「恋人になろうよ 二人の財産をひとつにまとめよう
このバッグの中にはちょっとした不動産も入ってるんだ」

そして僕等はタバコ一箱とミセス・ワーグナーのパイを買って
アメリカを探しに出かけた

「ねえ キャッシー」ピッツバーグでグレイハウンドに乗る時僕は言った
「今じゃあミシガンなんて夢みたいだ
サギノーからヒッチハイクした時は4日もかかったんだよ」
僕等はアメリカを探しに来たんだ

バスの中で笑いながら乗客の顔を見てゲームをした
ギャバジンのスーツの男はスパイだわ」と彼女が言った
僕はそれに答えた「気をつけろ 奴の蝶ネクタイは本当はカメラだよ」
「タバコをくれよ レインコートに一本残っていると思う」
「最後の一本は一時間も前に吸ったわよ」
そこで僕は外の景色を眺め彼女は雑誌を読んだ
広い草原に月が昇っていた

「キャッシー 迷っちゃったよ」彼女が眠っているのは知ってて僕は言った
「空しくて苦しくて 何故だか判らないけど」
ニュージャージー・ターンパイクを走る車の数を数えた
みんなアメリカを探しに来たんだ
みんなアメリカを探しに 

 さて、上記の歌詞を見ながらこの曲を聞いて頂きたい。


ひぐらし (Studio Live) / 太田裕美

  如何だろう。思わず笑えて来てしまっているのではないかな。この歌を作詞したのはあの「松本隆」。これはもうウケ狙いとしか考えられないが、プロフェッショナルの流儀には反する行為だろう。

一応歌詞を書いておくので改めて確認願いたい。 

ひぐらし

ねえ私たち恋するのって
鞄ひとつでバスに乗ったの
マクドナルドのハンバーガーと
煙草はイブをポケットに入れ

御殿場までが矢のように過ぎ
緑の匂い胸にしみるわ
昔はカゴで通ったなんて
雪の白富士まるで絵のよう

読んだ漫画をあなたはふせて
内緒の声で耳打ちばなし
スーツを着てるあいつを見ろよ
三億円に似てないかって


最後に吸った煙草を消して
空の銀紙くしゃくしゃにした
窓に頬寄せ景色見てると
時の流れをただようようね

ガラスに映るあなたの寝顔
私はふっとため息ついた
生きてる事が空しいなんて
指先みつめ考えてたの

日暮れる頃に京都に着くわ
それは涯ないひぐらしの旅
あなたと二人季節の中を
愛はどこまで流れてゆくの

  以上が「ひぐらし盗作疑惑」だが、当時の太田裕美ちゃんの可愛らしさに免じて不問に付す事とする。しかし許せないのがこの歌だ。


AMERICA 浜田省吾 live

 先ず歌詞を見てみよう。

 ロスからサンフランシスコへ続くフリーウェイを
おれ達 ヒッチハイクした1984
あの娘はダンサー
ニューヨークで踊る日を夢見てた
おれは ただ東京から逃れたかった
We were lookin'for AMERICA
映画の中のアメリカン・ドリーム
今も AMERICA
あの娘の輝いてた瞳 想い出す

煙草も缶のビールも 寂しさという愛も
モーテルのきしむベッドの上で分け合った
窓に流れるヘッドライト
ラジオからロックン・ロール
“もっと強く抱いて”と震えてたあの娘
We were lookin'for AMERICA
映画の中のアメリカン・ドリーム
今も AMERICA
あの娘の輝いてた瞳 想い出す

ショーウィンドゥに映った黒い目をしたJ. BOY
帰る故郷を見失って……

We were lookin'for AMERICA
映画の中のアメリカン・ドリーム
今も AMERICA
あの娘の輝いていた瞳 想い出す
We were just lookin'for“AMERICA”

  私はこの浜田省吾なる人物について全く何の情報も持ち合わせてはいない。従って彼が実際に彼女と大陸を横断しニューヨークへ向かったかどうかも知らない。だが、どう考えてもこの設定は実に胡散臭い。しかも「アメリカを探しに」というフレーズは一体どこからきたのだろうか。インスパイアとか言う耳障りのいい言葉で胡麻化す心算だろうか。

 以上今回は、このところの引き籠りから多少イライラしたのか、誰かに当たり散らしたくてついこんな事を書いてしまった。全国のハマコー浜省ファンには申し訳無い限りである。

 ところで今回のYouTube、もうこれしかないだろうと思われる「America」を弾いてみた。


America/風のかたみの日記

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