as close as possible

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 所謂「三寒四温」なのか、このところ気温が乱高下気味で毎日着る物に迷う。風邪をひかないよう手洗いとウガイを欠かさず、とにかく気をつけるしかない。

 散歩も不要不急の外出に該当するか悩ましいところではあるが、少しは身体を動かさなければならないので、極力人混みを避け出かけるようにしている。

 そんな折り、いつも通る所で早咲きの桜「安行寒桜」が開花しているのを見つけた。未だこんな騒ぎになっていなかった去年、この花を訪ねて随分あちこちに行ったものだ。

 何となく久し振りに友人に会ったような気がして、少し嬉しくなったりもした。

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  散歩の主たる目的は写真撮影ではなく軽い運動なので、カメラには70~300mmのズームを装着し、他の交換レンズは持ち歩かない。かさばる望遠にするのは偶に出くわす野鳥を撮る為である。

 だが、いざその時になってみると、オートフォーカスでは手前や奥の枝などにピントが合って肝心な鳥はボケる事が多い。だからといってマニュアルにすれば今度はピントを合わせている間に被写体は移動してしまう。結局、運を天に任せてオートでシャッターを切るしかない。

 偶然、いい絵になると嬉しいが、土台300mmなのでトリミングすると画像の鮮明さが失われる。さりとて欲を出して出来るだけ近づこうとすれば、あっさり逃げられてしまう。 まあ彼等も常に命懸けで生きているのだろうから仕方がない。

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 従って心置きなく狙えるのは基本的に静物、私の場合は「花」という事になってしまうが、こればかり続けていると、どうしても同じような写真だらけになるのは否めない。

 『マンネリ化した現状を打破する為には新しい何かが必要だ』そんな事を考えていたら どこからともなく悪魔の囁きが聞こえてきた。「標準レンズとしても使える28mm、単焦点マクロレンズ」 

 鳥には近づけなくても、これなら花との間を28mmまで縮める事が可能である。しかし約3センチといえば殆ど舐めるような距離。何やら怪しげな事をしているみたいで、はっきり言って恥ずかしい。近すぎるのも考え物だ。

  さて、このレンズ、果たして救世主になり得るのだろうか。 

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 以下のリンクはご参考まで。

  

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季節の花(「梅」図鑑)

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 梅と桜は非常によく似ている、と思う。同じ「バラ科サクラ属」なので当たり前と言えばそれ迄だが、写真を一目見ただけでは到底判別は出来ない。 

 しかし、どちらも古くから我が国の文化に溶け込んだ花であり、その区別がつかない等ということは、日本人として恥ずかしいのではないか。そう思って一念発起「違いが判る男」になろうと決心した。

 ところが、さっそく近くにある梅林へ行ってみるとその種類の多さに唖然とし、早くもめげそうになってしまった。早咲き、遅咲き、紅、白に加え、一重と八重咲き。更には萼(ガク)の色等々。それぞれが微妙に異なり、各々品種名があるのだ。

 寄る年波に唯でさえ脳のハードディスク容量は一杯なのに、とてもではないが覚えられる筈がない。

 だが、幸いなことに何本かの梅の木には名札がついており、こちらはカメラを持っている。それをセットで撮影しておけば、後になって氏素性を確認出来るではないか。

 という訳でせっかく記録が残っているので、これをまた YouTube にしようと考えた。

 尚、タイトルに「図鑑」と謳ってはいるが、そのような機能は無く、恐らく読者諸氏には殆ど参考にはならないと思う。

 従ってこれは単なる個人的備忘録と言った方が正しいかも知れない。それでもお付き合い願えればそれに勝る喜びは無い。 


季節の花(梅 図鑑)/風のかたみの日記

 

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ヘッドフォン三昧

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 自分で言うのも何だが、音に関して私はちょっとウルサイ。例えばスタインウェイベーゼンドルファーの違いくらいは、側板に書かれた社名のロゴさえ見れば瞬時に判断出来る程である・・・。

 ところで私達が日頃耳にする音楽の殆どはスタジオで録音、ミキシング、マスタリング等の処理を施した上で、CDやダウンロード用mp3として商品化されたものだ。また最近は敢えてアナログ・レコードにする場合もあるように聞く。

 読者諸氏は普段どのうような環境で音楽を聴かれているのだろうか。ウォーキング中「耳からうどん」状態の「ながら派」。はたまた家のステレオでじっくり「鑑賞派」。

 中には防音されたリスニングルーム、マーク・レビンソンのアンプ、JBLのスタジオモニターといった簡単には手に入らない、垂涎の所謂ハイエンド・オーディオ機器を揃える強者や、「音が暖かい」という理由で真空管アンプを愛用するマニアもいたりするかも知れない。

 確かに真空管トランジスタよりはるかに発熱するので「暖かい」かも知れないが、そこまで凝らなくても、これらの趣向は詰まる所「イイ音で聴きたい」が目的ではないかと思料される。

 かく言う私も以前ほんの少しオーディオに熱中した時期があり「やっぱり倍音が多いA級アンプは違うね」などと一人悦に入っていたが、それは殆ど自己満足に過ぎなかった。

 では、そもそも「イイ音」とは一体何なのか。これを説明するのは容易ではない。その事だけは判る。例えば S/N比 の数値が高いとか、音圧周波数が平坦で広いとか等々。ただ私が思うに、私達が「イイ音」と信じているのは、単に自分が好きな音ではないのか、という事である。

 本来は部屋の音響特性を補正する為にあるトーンコントロール等を弄り倒し、必要以上に低音や高音を増幅している人は多いと思う。

 先ずは原点に立ち返り、音楽制作者が意図した音を再生する事。それを可能にするには、制作現場であるスタジオと同様の環境を揃える必要があるのだ。

 と、言うのは簡単だ。だが一般家庭でそんな事は土台無理な相談である。そこで安上がりにプロがスタジオ等で使用しているアイテムを手に入れる事を考えた。そう、ヘッドフォンである。

  一口にヘッドフォンと言っても千差万別、音の傾向も驚くほど違う。私のヘッドフォン歴は長く、これまでに手にした製品は数知れない。現在でも7台ばかり所有しているが、元々レコードから楽器演奏のコピーをするのが目的だった為、とにかく音がクリアである事が必要条件であった。

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 従って音を楽しむというよりは、音を聞き分ける為の道具という感が強く、音量もかなり上げていたせいで長年続けた結果、若干難聴気味になってしまった。

 唯一、音楽鑑賞用に購入したと言えるのは、STAXというメーカーの製品で、これはヘッドフォン端子に差し込むのではなくスピーカー端子に繋ぐ。ヘッドフォン用アンプのショボい音ではなく、正真正銘、本来の実力を引き出そうという発想である。

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 確かにイイ音のような気もするが、実際のところよく解らない。尚、このモデルは発売から40年が経つ現在でも、ネット・オークションに於いて1万円程度で取引されているようである。

 さて、私がこれ迄のヘッドフォン人生で辿り着いた先。それは「赤帯」と呼ばれるSONYのモニター用定番モデルだアイキャッチ画像参照)。手頃な価格であまり音に癖が無く、軽いので気に入っている。

 プロ用のスタジオに常備され、音楽関係者にも愛用者が多いようなので、もしかしたらこれが制作現場の音なのかも知れない。と、思ったりもする。

 恐らく読者諸氏にもこれを使っている方は多いのではないだろうか。尚、2月22日は何故か「ヘッドホンの日」なのだそうである。

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季節の花(令和三年二月)

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 ふと気づけば暦はもう二月半ば。決して慌ただしい日々を送っている訳ではない。それどころか逆に代わり映えしない毎日である。このような生活は何の印象も残らない為、振り返ってみると極端に短く感じてしまうのだ。

 お気に入りの店で食事も出来ず、行きたいコンサートや観たい映画もじっと我慢。不要不急の外出は可能な限りこれを避けて家に閉じ籠り、ひたすら嵐が通り過ぎるのを待っている。

 それもこれも忌々しい新型コロナのせいである。しかし不自由な暮らしを強いられているのは私だけではないし、感染したり、職を失ったり、更に辛い思いをしている人も大勢いる。不平を言う筋合いではないのである。

 『それでも誰かに当たり散らしたい』 一時期、評判があまり良くないWHOのテドロス事務局長の顔がウイルスに見えたりしていたが、考えてみれば彼が就任した2017年時点では、このようなパンデミックが起きるとは誰も予想しなかった訳で、ある意味彼も不運な人なのかも知れない。

 勿論、感染は怖いし、出来る限り避けなければならない。とは言え過度にナーバスになっても精神衛生上好ましくない。

 目下の楽しみと言えば、運動を兼ねカメラ持参で植物園をウロウロ散歩する事位で、安全を図る為に殆ど人がいない午前9時の開園時刻に合わせ車で家を出る。立春はとうに過ぎたが、はっきり言ってこの時間帯は未だ寒い。

 しかもこの時期、咲いている花は数える程で、それも四季折々の風情の一つと言ってしまえばそれまでだが矢張り寂しい。盛りを過ぎたロウバイスイセン。これから盛りのウメにフクジュソウ等々。もうすっかり見飽きてしまい、何故か野鳥も近くに寄って来なくなった。

 そんな時、何やら黄色い物が木の枝に付いているのを発見。立札を見ると「シナマンサク」と書いてある。マンサクと言っても当然狂言役者ではない。イソギンチャクのような細長い紐状の花弁を持つ不思議な花である。更に進むと今度は同じ形をした赤い花(アカバナマンサク)も発見。読者諸氏にはご存知の方も多いのだろうが、私は初めて見たような気がする。

 という事で、今回はこの「マンサク」を中心にお馴染み?「季節の花」をご覧願いたい。尚、BGMは機械仕掛けのキース・ジャレット・カルテットが演奏する「Country」

 と思ったら、あまりに本物を忠実に再現したせいか、YouTubeから著作権者からの申し立てがありブロックしたとのメールが届いた。仕方がないので泣く泣くサックスをミュートして電脳キース・ジャレット・トリオに変更、何とかお目こぼしをして頂いた。 


季節の花 令和3年2月/風のかたみの日記

 

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霊峰を撮る

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 相変わらずタイトルは大仰だが、要は「富士山」の写真を撮りに行って来ただけの話である。それも麓の山梨県静岡県まで出掛けたり、近隣の絶景スポットを探した訳でもない。取敢えず最寄りの「富士山」が見える場所、「荒川土手」から撮影しようと考えたのだ。

 何故今富士山なのか。きっかけは Facebook のタイムラインに、かなり遠方から「ダイヤモンド富士」を撮影しようと不毛な努力をしている投稿があったり、また不屈のはてなブロガー、おりょー♪ (id:ryokobonafede)さんの情報によれば、バズーカ砲みたいなカメラを山に向けて、シャカシャカ鳴らしている穴場もあるという。

 ならばここはひとつ、『私もカメラを抱えて出かけてみようではないか。だが県境の河を越えると百合子が煩いので、その手前で我慢するしかないな』という結論に達した次第。

 実を言うと、ここのところすっかり外食を控えている事もあり、ちょいとオサレなレストランへ行った心算で、代わりにバズーカ砲まではいかないものの新しいズームレンズ(70~300mm/4~5.6)を入手したばかりなのだ。

 ところで「富士山」だが、日本の最高峰であるのは言うまでもない。しかし長い歴史の中で恐らく一度だけ後塵を拝した時期があった。

 1895年、日清戦争の結果、下関条約によって清国から割譲された「台湾」には「玉山」という山があり、標高は富士山(3,776m)より高い3,952m。日本はこれに「新しい高い山」=「新高山」という名を付けた。

 因みに1941年12月2日。極秘裏に単冠湾からハワイに向けて南下する聯合艦隊に対し、真珠湾攻撃を発令した暗号電文「ニイタカヤマノボレ一二〇八」はこの山の事である。

  その後、富士山が国内最高峰に返り咲いたのは二位転落から半世紀後、太平洋戦争が終結した1945年の事であった。

 <閑話休題

 さて勇躍出掛けたものの、朝日の妙に赤い光や思わぬ霞に阻まれ、結局思うような写真を撮る事は出来なかった。それでも当初はいつものようにYouTube用の動画を作成する心算であったが、ヘッダー画像から鉄橋や架線を消すのに消耗してしまい、以下の通り安易に写真を張り付けるに止めた。

 尚、頁が標示されるまで時間が掛かると思われるが何卒ご容赦を。

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日本橋の空

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 『日本橋』と言っても大阪にある電気街の話ではない。字は同じだが読み方が微妙に異なり、大阪の「にっぽんばし」に対し、こちらは「にほんばし」で所在地は東京都中央区日本橋である。

 この橋は1603年(慶長8年)、江戸幕府創設と同時期に初代が架橋され、翌年には五街道の起点と定められた。 

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 民謡『お江戸日本橋』に歌われるように「七つ立ち」、即ち日本橋を午前4時に出発すると高輪付近で日の出を迎え「・・・夜明けで提灯消す」という事になる。

 現在の石造りの橋は1911年(明治44年)に改築された物で、20代目にあたるという。因みに我が国の道路の中心を表す「日本国道路元票」が橋の中央付近に今も設置されている。

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 しかし、そのように日本を代表する橋梁でありながら、殆ど日の当たらない存在になってしまったのだ。理由は見ての通り。  

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 あろうことか1963年(昭和38年)首都高速道路都心環状線」の高架が上空を塞いでしまったのである。その頃、東京は翌年に開催される「東京オリンピック」の為、至る所で工事が行われており、この高速道路整備もその一環であった。お陰で我々は、半世紀以上日本橋から空を望む事は出来なくなった。 

 私は何も当時の施政者達に先見の明が無かったと言いたい訳ではない。そんな後出しジャンケンが許されるのならば、幾らでも自分を正当化出来る。あの頃、既に過密化していた東京都心に新たな道路を建設するには川を利用するしかなかったのだろう。

 ところが先日、その日本橋に架る首都高にある「呉服橋」と「江戸橋」の出入口が、今年の5月10日午前0時をもって廃止される事をニュースで知った。しかもその理由が「竹橋」から「江戸橋」の区間を地下に移設する為だとの由。

 実を言うと、この計画が20年以上も前から検討されていた事は、それとなく聞いてはいたが、いよいよ本格的な工事が始まるのである。これで日本橋から青い空を見上げられる日が遂に訪れるのだ。 

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 さて、そこで気になるそのスケジュールである。現在の計画では2035年に地下トンネルが開通。2040年迄には高架が撤去されるらしい。「えっ、未だ20年も先の話!」

 果たして私は新しい景観をこの眼で眺める事が出来るのだろうか。

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緊急投稿「新型コロナからの生還」

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 本年1月8日から再発令中の緊急事態宣言が、今日2月2日、東京や大阪など10都府県を対象に3月7日まで延長された。感染者数の状況等を鑑みて、ある程度予想は出来た事なので特に驚きはしないが、これから述べる「ある知らせ」の方は思いもかけないものだった。

 Facebookの友人の一人が新型コロナウイルスに感染、殆ど九死に一生を得て生還した経緯(いきさつ)を投稿したのだ。その内容を見て何時になく強い衝撃を受けた私は、これをより多くの人にシェアすれば注意喚起の一助になるのではないのかと考え、本人に連絡を取って本ブログへ転載の了承を得た。

 以下に引用する出来事は決してフィクションではない。都内在住の50代男性が実際に直面した新型コロナ闘病記である。先ずはお読み頂きたい。

 

 

 『死んでたまるか』意識を失ったら終わりだと直感し、初めて自分の為に救急車を呼んだ。

 1月14日、軽い咳から始まった風邪は3日目に40℃の熱をもたらし。5日目には重篤な肺炎となった。

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 21日にPCR検査結果の陽性が判明、保健所の指示は「自宅療養」という名の実質「放置」だった。

 23日、遂に死を覚悟する呼吸困難に襲われた。空気で満たされているはずの部屋の中で溺れ死ぬのだ。言葉にならない電話で119番通報し、防護服姿の救急隊員が来た時には思わず涙が溢れた。

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 保健所と消防本部、そして救急隊が必死に搬送先をあたり、3時間程探したところで 都内の〇〇〇病院が受け入れを表明してくれた。

 約1時間の搬送で到着するや、直ぐに胸部のX線写真を撮って「レムデシビル」の大量投与が始まった。また、急変時の気管内挿管や延命に関する同意書にも署名した。

 レムデシビル - Wikipedia

 治療が奏功して入院3日目に熱が下がり始め呼吸が安定した。激しい咳は続いているものの次の感染患者の為に、数少ないコロナ感染症棟のベッドを空けなければならない。 

 酸素飽和度は90程度しかないがコロナに関する完治証明書が交付され、5日目に退院した。発症から13日後、1月27日の事だった。

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 もう誰にも感染させる事はない自分のコロナだが、体には深刻な爪痕を残していった。グレープフルーツ用のギザギザスプーンで肺を削り取られたような痛みが常にある。平坦な道も息が上がって2分も歩けない。肺の機能はかっての7割以下だろう。身体を起こしているのが辛い。平癒には年単位の時間が必要かも知れない。

 COVID-19、この悪魔のウイルスにだけは絶対に罹ってはいけない。このウイルスは健康な人間を3日で殺してしまう。

 本当に人が死ぬ恐ろしい病気が、こんなに身近に溢れている事を、死の淵から帰って来た今だから自分にはよく理解出来る。

 今思えば入院出来たのは偶然が重なった奇跡だった。

 

 同じように感染しても年齢や性別、基礎疾患の有無等により、症状は異なると思われる。しかし私は医者でも感染症専門家でもないので、どのような施策が正しいのかは断言出来ない。 

 唯、今私達に必要な姿勢は誰かに責任を転嫁したり、声高に非難したりする事ではなく、為すべきは兎に角感染を避けるべく、もう一度初心に帰って日常の行動を見直し、細心の注意を払う事ではないか。私は上記の文章を読んでそう感じた。読者諸氏は如何だろうか? 

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 尚、掲載した写真はすべてFacebookに投稿されたものである。