季節の花(令和三年四月 上)

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 いきなり夏日である。こちらは未だ衣替えも済んでいないと言うのに、早くもTシャツ一枚で街を歩く若人の姿が散見されるようになった。

 花粉症は近所の内科で薬を出して貰い随分楽になったものの、今度は遠くタクラマカンやゴビの砂漠から偏西風に乗って黄砂が飛来。全くもって物心付いて以来、彼の国からはロクな物が来た試しはない。

 などと、長く続く自粛生活で愚痴の一つも言いたくなるが、そんな事をしている場合ではない。何と前回投稿した「ブログ開設3周年」は予想に反して大盛況。「ご祝儀」の意味合いも多分にあるとは思いつつも、ブックマークやグリーンの数は間違えなくこれまでの最高を記録したに違いない。 

 併せて沢山のご祝辞を賜り、皆様のご厚情誠に有難く、謹んでここに御礼申し上げる。「ありがとうございました」

 これに味を占め次は「ブログ開設3年と7日」というタイトルにしようかとも考えたが、流石にそういう訳にもいかず、また執筆に頭を悩ませる日々が戻ってきた。

 とは言え、月も改まり、いよいよ本格的な百花繚乱の季節が到来。先ずはお馴染み「季節の花」を作成してみた。宜しければ春の草花を愛でて頂きたい。

 

www.youtube.com

 

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ブログ開設3周年

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 最近ブログを書くのに四苦八苦する事が多くなった。構想だけなら簡単に思い浮かぶが、いざ文章にするとなると直ぐに行き詰まってしまう。 

 あまりイイ加減な事は書けないし、誤字脱字は勿論の事、同じ単語や表現を繰り返すようなセンスの無いモノにもしたくない。

 一旦書き上げても何度も読み返し、より適切な言葉を模索しながら文章のリズムを整える事に腐心する。毎回ショーもない雑文を投稿していると思われるだろうが、私としてはそんな手続きを経た上の事なのだ。

 嫌なら止めてしまえば楽になりそうだ。しかし、何故か投稿して数日が経過すると、また書かなければならないような気がしてくる。

 「全くやっかいな事を始めたものだ」そう考えていたところ、3月27日「はてなブログ」から以下のメールが届いた。

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 この3年間に書いた記事数は326。決して多くはない、むしろ少ないくらいだろう。しかもどれも内容が無いよう・・・。

 また登録して頂いた読者数は365名。こちらは多いのか少ないのか判断はつかないが、ブログ開始後数ヶ月で500名を超える方も大勢いるのを見ると、多分私のブログは詰まらないのだろう。

  何やら厭世観に取り憑かれていると、またお馴染み「手抜きの神」が耳元で囁いた。「3年間を振り返ってみたらどうだい」

 事業年度末でもあるし(あまり関係ない)、そこでこれまでの記事から自選10(+1)編を古い順に並べてみる事にした。

 題して「風のかたみの日記~三年間の歩み」もし宜しければ御一読賜りたく。

 さて、今後の本ブログの運営方針だが、当初の目的である「ボケ防止」を引き続きボチボチやってゆく所存である。改めて宜しくお願い申し上げる次第。

 (こんな事ばかりしているから読者が増えないのかも)

令和3年 桜紀行

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<3月26日「オオシマザクラ」と「おまけ」の画像を追加しました>

 3月22日、先月7日から1都3県に発令されいていた緊急事態宣言が解除された。とは言ってもコロナ禍の状況が好転した訳ではなく、近い将来ワクチン接種が功を奏する事を願いつつ、それまでは引き続き気を引き締めてかからねばならない。

 一方、いよいよ百花繚乱の季節が到来。その先陣を切るのは何と言っても我が国の国花「桜」である。この花が咲き始めると、何故か心の高揚を感じるのは私だけだろうか。

 さて、ご存知の通り「桜」には早咲きで有名な「河津桜」、最もポピュラーで開花の目安にもなっている「染井吉野」等々、数多くの種類がある。しかしこれらは交配によって生まれたもので、所謂「原木」と呼ばれる野生種は10種と言われている。

 以下にその名称のみ列記する。

  1. カスミザクラ
  2. ヤマザクラ
  3. チョウジザクラ
  4. タカネザクラ
  5. ヤマザクラ
  6. オオヤマザクラ
  7. カンヒザクラ(ヒカンサクラ)
  8. マメザクラ
  9. オオシマザクラ
  10. エドヒガン

 この中の「オオシマザクラ」と「カンヒザクラ」の交配種が「河津桜」で「染井吉野」は「オオシマザクラ」と「エドヒガン」の組み合わせとなる。残念ながら写真は無いが「カンヒザクラ」だけが濃い紫紅色の花弁をつける。従って色の濃い桜は大概「カンヒザクラ」が絡んでいると考えても良さそうだ。

 以上を踏まえ、自前の写真を幾つか紹介しようというのが今回の趣旨である。尚、じっくりとご覧頂けるようにいつものYouTubeではなく直に張り付ける事としたので、表示に時間を要するかも知れない。

<安行寒桜>( カンヒザクラ+???)

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<陽光桜>(オオシマザクラエドヒガン=アマギヨシノ+カンヒザクラ

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<雅桜>(カンヒザクラ+多種原木)

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染井吉野>(オオシマザクラエドヒガン)

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 <大島桜>

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<おまけのムクドリ君>

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<もひとつおまけのシラサギ君> 

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 ところで、喫茶店のレモン・スカッシュ等に入っている真っ赤なサクランボ、あれを食べずに残した場合、次の客へ使い回ししているという噂は本当だろうか。

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煙草からの卒業

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 今週のお題「〇〇からの卒業」に因んで。

 先日、抜けるような青空に誘われ、特に行くあても無く車を走らせた。もとより遠出する心算は無かったが、暫く振りに眺める街並みに新しい建物が出来ていたりして、それはそれで新鮮である。

 ふと、交差点の角に、制服の胸にコサージュを飾った女学生が二人立っているのが見えた。彼女達の背後に目をやると校門に「卒業証書授与式」と書かれた大きな立て看板があった。

 「そうか、卒業シーズンか。『授与式』は『卒業式』とは違うのかな」そんな事を考えながらその場を通過した。

 今年はコロナ禍の影響で通常の「卒業式」を中止する学校も多いようだ。この日を楽しみにしていた生徒や父兄にとっては、さぞかし残念な事であろうと思う。しかしこればかりはどうしようもない。

  「卒業」という言葉は本来所定の教育課程を修了した事を意味する。だが今回の「お題」に合わせ拡大解釈をして、私にとって「卒業」と呼べるような出来事を最後に経験したのは何だったろうかと思い返してみた結果、「禁煙」という文字に辿り着いた。

 

 さて、私が煙草を止めて久しい。二十歳になった記念に吸い始め、途中3年程の禁煙期間を挟み延々と数ディケイド吸い続けていた。

 最盛期には1日60本もの有害物質を吸引していたが、今では全く吸いたいとは思わず、逆に臭いを嗅ぐだけでも不快感を覚え、偶に煙草臭いタクシーに乗ったりすると気分が悪くなってしまう。

  それでも長い間吸っていた為、煙草に纏わるエピソードも幾つかある。その一つを紹介したい。

  初めてアメリカに2週間出張した時、日中ずっと喫煙を控えていたが、仕事を終え食事を済ませてホテルの部屋に入り、漸く「ヤレヤレ先ずは一服」と思って灰皿を探したところ、無い!

 テーブルの上にも机の引き出しの中にも何処にも見当たらないのである。「ウエルカムフルーツや聖書なんかいらないから灰皿をくれ!」

 フロントに言って灰皿を届けさせるか部屋を変えて貰う手はあったが、夜も更けておりその日はじっと我慢した。それ以降、移動してホテルにチェックインする際は必ず喫煙可か確認するようになった。

 そこで今度は、以前、村上春樹がエッセイにチェックインの際「Cancer room please.」と言ったら受けたと書いてあった事を思い出し早速試してみたが、えらく怪訝な顔をされただけだった。

 とにかくアメリカという国は徹底している。彼等の発想は「身体に悪いと判っていながらを敢てそれを摂取するのはエリートでは無い」であり、丁度カフェイン抜きのデカフェネイティッドコヒーが流行っていた頃だった。

 それに引き替え、後に訪問したヨーロッパはまだ緩かったが、当時日本で1箱200円程度で買えた煙草が彼の地では800円もしていた。喫煙者が少ないのはこのせいだったのかも知れない。

 いずれにしても日本では、料亭にしろレストランにせよ、昔はあらゆる場所で煙草を吸う事が出来た。あの頃非喫煙者達はよく我慢してくれたものだとつくづく思うのである。

 ところで「抜けるような青空」を「ピーカン」と言うのは缶入りピース(煙草)のパッケージの色の事、という話は本当だろうか。

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季節の花(令和三年三月)

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 ここ暫く鳴りを潜めていた「花粉症」が突然復活、目は痒く鼻水が止まらない。外出時、鼻はマスクである程度防げるが、目を保護するアイテムと言えば、せいぜい水泳用のゴーグル位しか持っておらず、流石にあれを付けて街中を歩く訳にはいかないだろう。

 最初に自分が「花粉症」だと認識したのは彼是20年前。歳を重ねる毎に次第に症状は緩和されて来たので、すっかり安心しきっていた矢先の再発である。

 仕方がないので散歩を取り止め、これ迄撮り貯めた写真で動画を作成、いつものように YouTube にUPした。ご覧頂ければこの上ない幸せである。

 


季節の花 令和3年3月/風のかたみの日記

 

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レクイエム 3.11(再掲)

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 今年もまたこの日がやってくる。2011年3月11日、あれから10年の月日が流れた。

 東日本大震災。死者15,899名、行方不明者2,527名、関連死を含めると22,000余人の尊い命が失われた。かって犠牲者の死因の大半は「関東大震災」は焼死、「阪神淡路大震災」では圧死であったが、この大震災では溺死が90%以上を占め、私達は巨大津波の恐怖をまざまざと見せつけられたのだ。

 更にその猛威は福島第一原子力発電所の重大事故を招き、今日現在その廃炉処理が収束する具体的見通しは未だ立っていない。恐らく今後数十年の歳月を要するという。

 さて、以下は2年前、この未曾有の災害について「はてなブログ」に投稿したものである。備忘録として再掲したいと思う。

 

  同時代を生きる者として、やはりこの日の事を避けて通る訳にはいかない。

 あの時あの場所で、一体何が起きたのか、何が出来て何が出来なかったのか、何をすべきで何をしてはいけなかったのか、何が解決し何が未解決なのか、何が解明され何が不明のままなのか、そして我々はそこから何を学び何を残せばいいのか。

 2011年3月11日、その日私は昼過ぎに函館から空路帰宅し、居間のテレビを点け鞄の荷物を整理していたところ、突然「緊急地震速報」のあの不気味な警報音が鳴った。

 手を止め画面を見入っていると、やがて壁が軋むような音がして部屋と建物全体が揺れ始めた。それがあの未曾有の惨禍の始まりを告げる、破壊の神ポセイドンのいわれなき怒りのシグナルであった。

 その激しい揺れは私が初めて経験した震度5だったが、幸いな事に私と私の親戚知己に然したる実害は無かった。しかし暫くして、震源地から離れていながらその影響の大きさを痛感する事が起きる。

 それは「計画停電」と呼ばれる、地域ごとに輪番で電力の供給を止め、更なる電力トラブルを回避する施策で、身近なライフラインがこんなにも脆弱な物だと実感するには充分であった。

 停電は事前に実施日時が公開された為、大きな混乱は起きなかったが、これまで殆ど体験した事の無い闇夜を懐中電灯と蝋燭だけで過ごし、早めに就寝する以外、対処法は何も無かった。 

 勿論、それは大切な人や物を失った被災者の方々に対し、申し訳ない位の些細な不便さではあったが、震災直後の被災地の暗闇が、如何に心細い物であったか僅かなりとも体感する事は出来た。

  世にカタストロフィやパンデミックと呼ばれる悲惨な出来事の歴史がある。世界規模で一番大きく有名な例は8,500万人が死亡したという十四世紀のペストだろう。また記憶に新しいところでは阪神淡路大震災、9.11同時多発テロ、昨年日本各地で起きた水害もあった。

 それらの惨状は技術の進歩により瞬時に可視化され、我々により強い印象を残す事となった。人は大自然の猛威や同じ人間の狂気の前に立ち尽くし、己の無力さを痛いほど思い知らされる。

 八年前、目の前のテレビ画面は、荒れ狂う海と化した市街地を遡行して行く夥しい数の瓦礫を、まるでCGの如く映し出していた。そして私はただ茫然とそれを見るしか術は無かったのだ。そこはかって訪れた事のある海辺の街、或いは今そこにいても何の不思議も無い有名な景勝地

 あれから八年という歳月を経て、漸く私にはある種の覚悟のようなものが芽生え始めた。それは災害が起きても即座には誰も助けてはくれないという事実。やがて到着するであろう援助を待つ迄の間、自分の身は自分で守らなければならないという現実。そしてそれを不当だとは考えない自覚。

 失われた二万余人の尊い命と、自らの身命を賭して最期まで最善を尽くした数多の崇高な御霊、今なお不自由な環境での生活を余儀なくされたり、心に深い傷を負いながらも懸命に生きている人達、それとは対照的に、愚かさを露呈しながら未だに自画自賛を繰り返す当時の為政者達、それら様々な交々に思いを馳せる、この3月11日をそのような一日にしたいと私は思う。あなたはどうだろうか。(初回投稿2019年3月10日)

 

 今また私達は「新型コロナウイルス」なる新たな脅威に遭遇している。しかし、これまで幾つもの試練を乗り越えて来たように、今日という日は一筋に未来へと続いている、そう私は信じたい。

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マクロの決死圏

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 前回に続き写真の話である。尚、専門的な知識や技術に関する記述、役に立つティップス等は一切無いので予め御承知頂きたい。

 さて、私が28㎜/3.5、単焦点マクロレンズを入手した件は既に述べた。後は実際に使って慣れるしかないと考え、70-300mmのズームを付けたカメラの他にコレをポケットに入れての散歩である。尚、一応レンズ保護の為フィルターとフードは装着している。

 だが「これは!」というシーンには中々巡り合えない。考えてみたら都合の良い位置に咲き、尚且つ28mm圏内まで近づける花などそう多くはないのだ。「いいな」と思っても当方の身長不足でカメラが届かない。或いは低すぎて地面に這いつくばらなければならない等々。

 それでも辺りをキョロキョロ見回しながら歩いていると、突然、近くの木の枝がガサガサと音を立てた。見上げると何と鳥がとまっているではないか。しかもかなりの至近距離。とにかくシャッターを切る。(後で調べたらホオジロという鳥らしい)

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 更に歩いて行くと何やら華やかな色合いの草花が見えて来た。マクロレンズを試すチャンスだ。スマホに入れた「ハナノナ」という無料アプリをかざすと97%の確率で「パープル・ヒース」と出た。帰宅後チェックすると「エリカ」の一種のようだ。

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  どうもこのレンズは焦点を合わせるのが難しい。次にトライしたのは「馬酔木」(アセビ

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 何とかして花弁の質感を捉えたかったが、風が吹いて被写体が安定しない。人生同様、思い通りにはいかないものである。

 そこで順路にある温室に「フブキバナ」という可憐な花が咲いていた事を思い出し入ってみたが、既に盛りが過ぎたのか撤去されていた。仕方がないので「ワサビノキ」を撮ってみた。

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 いずれにしても今後も引き続き使ってゆくしかないと思われる。しかし、こんなにピンポイントばかり見ていると世の中に対する視野も狭まり、近視眼的見方しか出来なくなるのではないか。そんな懸念が心を過った。

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