2020-01-01から1年間の記事一覧

ただその40分間の為だけに(10)

ヒナコは迷っていた。確かに歌うことは子供の頃から好きだったし、ある程度得意だとの自覚もあった。どんな曲でも二三回聴けば覚えてしまい、殆ど音程を外すことも無かった。そして声を体に共鳴させてより深く響かせると、得も言われぬ恍惚感のようなものに…

ただその40分間の為だけに(9)

その日、等々力のヒナコの家にムーとアグリー、そしてクマの四人が集合、記念すべき第一回目のミーティングが開かれた。 『あの2ー4フェアウェル・コンサートから二か月余、ここにヒナコとムーの歌唱力、そしてクマとアグリーの演奏力を結集した、本校音楽…

ただその40分間の為だけに(8)

図書室を出たクマは、またいつもの桜並木をバス停に向かっていた。司書教諭との会話に示唆されるところはあったし、なにより初対面の彼女と自然に話が出来た事が嬉しかった。『あんな人が教鞭を執ればいいのに』とも考えたが、それは彼女が言うところの「月…

ただその40分間の為だけに(7)

「クマくん」若い女性司書教諭はそう声を掛けると直ぐに「あなたに悪いニュースがあります」と、まるで外国映画の台詞を直訳したような表現で続けた。しかし、それを聞いたクマは別に嫌な気はせず、それどころか随分洒落た言い方をするな、とさえ思った。 「…

ただその40分間の為だけに(6)

50分間の昼休みが終わり、五時限目の授業開始を告げるチャイムが鳴り始めても、クマは図書室の机の上に広げたレポート用紙の束を前に座ったままだった。 昨夜のナッパとの電話の後、殆ど一睡も出来なかったせいで、彼の両眼はサングラス無しで雪の照り返し…

ただその40分間の為だけに(5)

まだ春休み中だった四月初め、クマは明治神宮での初デートで二年間恋焦がれ続けたナッパといきなり口論をしてしまい、それ以来少し冷却期間を置いていた。否、その表現は正しいとは言えない。彼は『自分は嫌われてしまったのではないか』という、考えるだけ…

ただその40分間の為だけに(4)

アグリーとヒナコの誘いを振り切り学校を出たクマは、バス停に向かう途中、彼とは逆方向に移動する若い女性の集団とすれ違った。辺り構わず大声で会話をする彼女達は、上下ともジャージのトレーニングウェアを着用し、髪はボサボサ、運動靴はかかとを履きつ…

ただその40分間の為だけに(3)

「イ、ヤ、だ。くどいよ。何でもいいからオレを巻き込むのだけは止めてくれる」いつになくクマは声を荒げた。 5月下旬、デューク・エリントン死去の報が世界を駆け巡っている頃、ジャズとは殆ど縁の無い、それでもミュージシャンの端くれを自認するクマとア…

ただその40分間の為だけに(2)

「クマさーん、お客さーん」 三年でもまた同じクラスになったメガネユキコが、彼等のホームルーム、3年1組の出入り口からそう呼びかけた。何事かと訝しがりながらクマがそこまで行くと、全く知らない女生徒が立っている。 「あのう、私、3年7組のチャコ…

ただその40分間の為だけに(1)

そして1974年4月、僅か11名の部員で春の甲子園に準優勝を果たした徳島県立池田高校野球部への称賛が続く中、クマは唯一人、自分のフィールドで新たな挑戦を開始した。 高校3年になって遅れ馳せながら大学受験に目覚めた彼が先ずした事は、卒業に必要…

ただその40分間の為だけに(序)

不器用な青春を精一杯生きたすべての者に捧げる <主な登場人物> クマ: 物語の主人公。音楽一辺倒の生活に変化が。 アグリー: クマの盟友でライバル。 ヒナコ: 自分の音楽人生を文化祭に賭ける。 ムー: ヒナコの相棒。男言葉を使う不思議な少女。 セン…

お知らせ

今年の5月から6月にかけて、私は「青春浪漫 告別演奏会顛末記」なる小説のような雑文を連載して、自ら己の文才の無さを白日の下に晒し「拙文王」の名を不動のものにした。 実は自分でも忘れていたのだが、その第5回には次のような記述があった。 『・・・…

つくつく法師の記憶

「夏の終わり」は何故か切なく物悲しい。何となくそんな気がする。それは眩しい日差しが少しずつ薄れてゆくせいなのか。それともやがて訪れる秋を無意識裏に受け止めた為なのか。否、ただ単に一人黄昏ているだけなのか。 ひと口に「夏の終わり」と言っても、…

ジャポニカ学習帳

このブログに投稿している通り、普段私が撮影している写真は草花の接写が多い。そのせいか知人からは「ジャポニカ学習帳」と揶揄される始末である。 この「ジャポニカ学習帳」とは、ショウワノート(株)が専ら子供向に1970年に販売を開始した歴史のある学…

季節の花 葉月 (ニ)

今週のお題は「暑すぎる」との由。確かに梅雨明け以降、いきなり猛暑日が続き、気象情報等では「命に関わる暑さ」という言葉を用いて熱中症への注意喚起を行っている。 暑さを形容する文言が年々先鋭化しているような気もしないではないが、しかし残念な事に…

想い出は帰らない

昼過ぎ、南南西の風が厚い雨雲を運んで来た。 一瞬にして空を覆うスコール。昔、パダンのホテルの部屋から眺めた景色に似ていた。 程なく大粒の雨が、風に揺れる街路樹の葉を叩き、行き交う車のライトが、濡れたアスファルトに滲んだ。 あの日も、心を閉ざし…

土曜の朝の風のかたみ

最近の土曜の朝は「川口グリーンセンター」へ行き、草花の写真を撮影する事がすっかり習慣になってしまった。個人的趣向で引き続き外食を自粛している現在、残された数少ない楽しみのひとつだ。 園内の混雑を避ける為、未だ人の少ない開園時刻に合わせて家を…

海に連れてって

どうやら今週のお題は「夏うた」という事らしい。毎回「如何に手を抜きブログを更新するか」そればかりを考えている私としては、夏に因んだ歌をYouTubeから引っ張り出して、リンクを貼り付ければ一丁上がり。これを見逃す手は無い。自慢では無いが長く生きて…

月への尽きない想ひ

深夜ふと目が覚めた。見慣れた寝室がいつもより明るく感じられた。よく見ると光はカーテンレール辺りから漏れている。外を確認すべく起き上がり、カーテンを開く。その瞬間、私の眼は光の正体を捉えた。満月! 小学生の時、天体望遠鏡を買って貰った。経緯台…

季節の花 葉月 (一)

8月1日。朝、カーテンを開くと久方の青空。唯それだけの事で気持ちが晴れる。朝食も摂らずカメラ片手に車を走らせる。行き先はいつもの「川口グリーンセンター」。 午前8時40分、開園前の駐車場には既に数台の先客。この時間帯に訪れる人の殆どは重装備…

貼り忘れた写真(或いはカナユニ再訪)

これまでレストラン・カナユニについて全5回、約12,000文字、凡そ原稿用紙30枚相当を費やし私見を述べた。元原稿から削除した部分や添付写真を含めれば、安易な卒業論文程度の量にはなったと思う。しかし何時もの悪い癖で脇道に逸れ、余計な記述が散見され…

新生老舗レストランを南青山に訪た <その5>

そしてTはワインを一口飲み漸く「これ、味はいいんだけど、とにかく強烈」と理解不能な言葉を呟いた。早速私も残ったひと欠片を取り皿に乗せ、フォークで更に小さく分けて口に入れた。 これまで随分ブルーチーズを食べて来たつもりだったが、これは初めての…

新生老舗レストランを南青山に訪た <その4>

ところで私には気掛かりな点が一つあった。それはかって種々便宜を図ってくれた浅見氏の姿が見えない事だ。私は氏の風貌からてっきりかなりの高齢と思い込んでいて、二年前の閉店を期に引退したのではないかと考えていた。しかしTによれば浅見氏は我々とそ…

新生老舗レストランを南青山に訪た <その3>

「追伸 カナユニのオーナーの息子『マコトさん』が、南青山にカナユニをオープンしたそうです」 2018年3月初旬、そう伝えたのは暫く連絡を取っていなかったTからの近況報告メールだった。 私はそれまでも「カナユニ」のオフィシャルサイトを時折覗いて…

新生老舗レストランを南青山に訪た <その2>

さて、誰を誘って「カナユニ」へ行くか。灰色の脳細胞に真っ先に浮かんだのは大学の同級生二人の顔。我々三人は卒業後も連絡を取り合い、時折会う他に毎年1度、観光&グルメ旅行を実施。北は冬の北海道、南は夏の沖永良部島まで日本各地に足を運び、名所旧…

新生老舗レストランを南青山に訪た <その1>

此処は何処なのか。キャンドルが揺れているからピアノが鳴っているのだろう。だがそれは現実の音ではないようだ。スペインかポルトガルか…30年以前の昔だ。夢に憑かれたように歩いたフランスの何処かか。ピアノの調べが遠くなる…。そして何故か私は古びた階…

新生老舗レストランを南青山に訪た <序章>

今年はなかなか梅雨が明けない。それどころか先日の「令和二年七月豪雨」により甚大な被害を被った地域に、更なる追い打ちをかけるかのような大雨が尚も降り続いている。 懸案の「新型コロナ禍」も同様。全く収まる気配は見えず、長引く不自由な生活に気分も…

ハーフは嫌(Half a year)

そろそろブログを更新するタイミングかと思いつつ、いつものように全くやる気が出ない。そこで「はてなブログ」の「今週のお題」を覗くと「2020年上半期」の文字。どうやらこの半年間を振り返ってみようという企画らしい。 と、その時突然、楽する事ばかり考…

季節の花(文月)

今年もまた記録的な豪雨により各地に甚大な災害が発生、数多くの掛け替えのない命と財産を奪った。このようなニュースを見る度に、これだけ科学が進んだ現代、しかもその最先端を行く日本において、未だに自然災害を防ぎきれないという現実をもどかしく思う…

今週のお題「納豆」(用も無いのに納豆売りが)

久し振りに「今週のお題」について書いてみようと思う。因みにそのお題は「納豆」。何故この時期に納豆なのか考えてみたが、思い当るのは精々7月10日が語呂合わせ(7=ナ、10=トウ)で「納豆の日」だという事位しかない。 それはさておき、結論から先…